天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「イッサ伝」を読んで その3

発言する場所がここしかない(笑)ので許して下さい。

さっき書いたことがイッサ伝から外れてしまったので。

実はこの「イエスの失われた17年」という本を、
書店で私がいつも引き寄せられる、「精神世界のコーナー」で何年も前から見ていたことを
思い出しました。

「イエスの17年?怪しい・・・」とまるで相手にしていませんでした。

しかもその時は知らなかったのですが、著者は神秘主義を教えている人です。
やっぱり怪しい香りがぷんぷんしますよね?!

この本自体は、イッサがヒミス寺院に来たという話しを軸に構成されていますが、
著者自体はイエス様のことを、数ある聖者の中の一人と見做しているようです。
(そういう考えを秘教的キリスト教キリスト教神秘主義と言います)

ですので、通常のクリスチャンのイエス様に対する見方と確かに違っています。

そいういう構造で書かれた本の中に、
この「イッサ伝」が入っているというのが面白いと思いました。

ヒミス寺院の僧侶は、イッサ伝のことを調べに来たその他の
キリスト教関係者のことを信用していなかったようです。

彼らにイッサ伝を見せるようせがまれた時、それを断っていました。
彼らの中に何か良くない動機を見たのでしょう。

「このイッサ伝を使って何かしてやろう」という私欲がなく、
単に真理を探究していると思われる人達に、寺の僧侶は進んで見せてあげたようです。

私も怪しいと思っていた頃にこれを読んでいたのであれば、
あまり理解できず、かえって混乱していたかもしれません。
時が熟して、理解できるようになった頃にイッサ伝が読めて良かったです。

ところで話はいきなり変わりますが、
小学生の頃、「ク・リトルリトル全集」という本が
真新しい図書室にきれいに並べられていたのを覚えています。

白っぽい本の装丁がきれいで、名前の不思議さもあって手に取ってみましたが、
何か「読んではいけない」というインスピレーションがありました。

妙に気になるんだけど、やっぱり読んではいけない、何か空恐ろしいものを感じて、
いつも側の装丁だけ眺めていました。

実はその本、怪奇小説で有名なラヴクラフトという人が書いたホラー小説だったのです。

自分が霊的なものにひかれる性質があるため、
どうもオカルト的なものにも興味があり、怖い話が好きな所もあったのですが、
この本だけは結局読まずじまいでした。

勘て不思議です。これは聖霊が教えてくれていたこと?なのでしょうか。

前にビル・シュノベレンさんが書いた「ルシファー デスローンド」を翻訳しましたが、
氏によると、ラヴクラフトは高度な魔術を自分で実践し、
異次元の存在を現世界に実際に呼び寄せてしまったということです。

まあ、こういうことは普通の人は信じられないと思いますが・・・

ラヴクラフトの作品は、その類まれなる想像力が素晴らしい、ということで
今でもファンの間ではカルト的な人気を誇っているようです。

でも実は自分が見てしまったことを、何かの形で表現しなければ正気を保てなかったので、
小説の形で発表していたのだろう、というシュノベレンさんの意見です。

私は感化されやすい性質の子供だったので、
もしこの本を読めば、きっと悪い影響を被っていたかもしれません。

それを直感(聖霊?)が教えてくれて、未然に防いでくれたのでしょう。

イッサ伝もそうですが、その本の内容を正しく扱うのに、
適した時がやってくるんだなあと思います。

この歳で魔術のこととか陰謀論とかの知識を持った上で、
ラヴクラフトの作品を読んでもちっとも怖くありませんし、むしろ子供っぽさを感じます。

ですが本当に今でもありありと、子供の時手に取った、
その本の白くて静かで美しい装丁の印象を思い出すことができます。
何故かその美しさの裏に、妙な怖さを感じていたということも。

不思議なことです。