天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

マリアは人間

お正月休みが近づいてきてるからか、珍しくブログ熱が出てきてます。

前に聖書以外のイエス様の言葉が満載の、
ユダヤキリスト教 封印のバチカン文書」という本を紹介しました。

この本の第5章に、ヨセフとマリアに対する
ガマリエル(パウロの先生で、当時最高の律法学者)のインタビューも載っています。

この文書自体は、コンスタンティノープルの聖ソフィア寺院で発見されたもので、
ユダヤ・タルムード27Bに収録されていたということです。
なので、カトリック教界側の文書ということですね。

そこからガマリエルのマリアに対する感想と、ガマリエルとマリアのやり取りを少し紹介します。

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ガマリエル:
マリアはヨセフとはまったく違う性格で、不釣り合いとさえ思えるほどに、高貴な女性でありました。年の頃は、40から45歳、ほがらかで、幸せに満ちた、とても楽しい人です。みめ麗しく、ふっくらとして、柔らかな済んだ瞳をしています。彼女には生まれもっての善良さが認められました。(P85)

ガマリエル:(マリアに対して質問)
「(イエスには)金銭や富、名声への憧れはありませんか。上等な衣服を喜んだりはしないのですか」

マリア:
「少し気がかりなことですが、あの子は自分のことにはまるで頓着しないのです。着るも着ないも気にかけません。家族の生活が苦しかろうと楽だろうと、あの子にとっては同じことのように見えます」

ガマリエル:彼女は、このことについて、彼にそれとなく尋ねたことがあるそうです。すると、イエスは彼女をやや悲しげに見つめて、このように答えました。

エス
「女の方(彼は常にマリアにこう呼びかけました)、あなたは私が誰であるかを知らないのです」

ガマリエル:
実際、イエスは、この世的なことにも、時事問題についても、ほとんど関心を示してはいないようです。マリアは、彼が王になることに失望を感じているようでありました。王になるなら、まったく違った行動を取っていなくてはならないはずだからです。(P88)

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この第5章を読むと、マリアはイエス様を処女の身で産んだ程の高貴な人だったけれども、
彼女といえどもイエス様のことを十分理解していなかったということが伝わってきます。

エス様は常にマリアと一定の距離を保ち、彼女だけ特別扱いされなかったことが
この文書から伺えます。他の人間達と同様に平等に扱われたようですね。

それはマリアが亡くなって天国へ行ったとしても、彼女に対する神様とイエス様の
扱いは、他の人間達に対するものと変わらないと想像します。
ですので、カトリック側が教える神と人との間を取り持つ「女神」的な役割は、
人間側が勝手に作り上げたイメージだと思います。

(これについてはアルベルト・リベラ博士の漫画に詳しい説明があるので、後日紹介したいと思います。)

近いうちに、母が偶然仕入れてきた、イエス様の子供時代~29歳の頃までの
いわゆる「失われた17年」のことが書かれた本も紹介したいと思います!