天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「白い衣」 モーセの律法+イエスの救い(2)

息子は言った。

『お父さん、有り難うございます。何と美しい衣でしょう。雪のように白く私の体にもぴたり合います。これほど嬉しいことはありません。私は、貧乏で、宿無しで、哀れにボロを引きずっているので、あなたから嫌われていると思っていました。しかし、こんな私でも愛して下さるのですから、今こそ、本当に愛してくださっていることを知りました。私があなたの家にいることを、いつまでも喜んでくださることを。何とお礼を申し上げてよいかわかりません』

息子は自分が変わったことに喜び、父もともに喜んだ。それから、父は話した。

『私は、子供たちが私の好みに合った方法で生きてくれるときに、子供たちとともにいることを喜ぶ。これは私が自分で作ったものなのだから、もちろん私の好みに合う。それに満足してくれるだけでよい。おまえの衣を汚してはならない。それは、あまりに白く、清潔なため、わずかな汚れや泥が付いただけでも、見るに耐えないものとなる。おまえがそれを世から汚さずに保っている限り、それはあなたを世から際立たせ、同じ衣を着ている者たち全員の仲間に迎え入れてくれるのだ。それは、うちに生きている”義”の反映にすぎない。義は、外の反映によってのみ明らかになる。

義を拒むものさえ義に憧れる。彼らは、心の中ではそれを尊んでいるに違いない。彼らがそれを欲しがり、あなた方に対して迫害の心を起こそうとも、それは彼らがあなた方を嫌っているからではない。彼らがあなた方のようではないからなのだ。それが、至るところにある妬みの原因である』

さて、父なる神は、私たちを、このように霊的に扱われるのである。父は、私たちの不滅の霊魂が、未来永劫にわたり幸せに生きることのできる、聖なる家をお与えになり、次には、聖霊をお与えになった。イエスの約束された聖霊、あの日人々に降臨した同じ聖霊である。

何事も主の御命令に従い、主の聖名を讃えることによって、聖霊は、主に愛し仕える聖なる願いを、私たちの中に新たに生む。この同じ聖霊は、善なる気高き御父のささげものをすべての人に受け取らせたいという、聖なる願いを私たちの中に生む。それは、彼らが今幸せになり、永遠に幸せになり、生前より死後にいっそう幸せになれるためである。

私たちの父が、これほど楽な条件で捧げられた、この貴い贈り物を見なさい。必要なのは受け取ることだけである。受けるものは誰か!」

すると、2、300人ほどの人々が「受けます!」と叫び、それから大いなるどよめきと声が上がった。このすべては、私の心に強烈な印象を与えた。

私は、彼らの言うことが本当なのか、神がユダヤ教よりも楽でより良い救霊の道をお与えになったのかを確かめるために、徹底的に調べようと思う。この問題には、考察するだけの価値があると痛感する。長年の間―これは父も同じことを見、語ってきたことであるが―神への務めが過酷なあまり、人々が冷淡になり、神を無慈悲な独裁者のように思う傾向が出てきているからだ。

それに較べ、ペテロのたとえは、私が神への愛に目覚めるほど、愛に満ちた神を説いているからである。

(引用終わり)

(『ユダヤ・キリスト教封印のバチカン文書』より)

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(管理人)

大阪にいる叔父が(夫婦でクリスチャンだった)亡くなる直前に、「白い衣・・・宇宙・・・」と呟いていたという話を思い出します。イエス様の犠牲によって、それを受け取ろうとする人間が白い衣を着ることが許され、その人がモーセに与えられた律法を守りつつ、世の穢れを受けない(白い衣にシミがつかない)ように努め、死後には天の父なる神の御元に帰っていく、というのが神様の考えておられる天国への道筋でしょうか。上のペテロの言葉を聞くと、神様は我々を苛めたいと思っておられるのではなく、幸せにしたいと思っていることが分かります。

【追記】

この書簡の筆者は「ヒレル3世」とありますが、気になって調べたところ、イエス様の同時代人にヒレル3世という有名人は存在しなく、どうも「大ヒレル」と同じ人物のことではないかと思いました。大ヒレルというのは、初代サンヘドリン(ユダヤ議会)の長だった人物のことで、パウロの師の「ガマリエル」の祖父とのことです。

この人の墓地は、現在イスラエルで巡礼地となっているほど、今でもユダヤ人の尊敬を集めているようです。今日まで「ヒレルの名言」というのが伝わっており、それを読む限り、愛と常識にあふれた聡明な学者といった印象を受けます。

ちなみに、文献をひっくり返して調べていると、どうもガマリエルは後にクリスチャンとなったようです。上に引用した記録を読む限り、ヒレルもまた、ペテロの教えに好感を持っており、この後イエス様を信じたであろうことが十分に想像されます。

【再追記】

ちゃんと本を読んだら、「ヒレル」というのは、当時のパリサイ派の中の「ヒレル派」の指導者の世襲名だと注釈に書いてありました。なので、ヒレル3世=大ヒレルではありませんね。