天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

本当の「死を味わわない者」

マタイ16:24~28

それからイエスは弟子たちに言われた、
『誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、
自分の十字架を負うて、私に従って来なさい。
自分の命を救おうと思う者はそれを失い、私のために自分の命を失う者は、
それを見出すであろう。たとい人が全世界を儲けても、
自分の命を損したら、何の得になろうか。
また、人はどんな代価を払って、その命を買い戻すことが出来ようか。
人の子は父の栄光のうちに、み使いたちを従えて来るが、その時には、
実際の行いに応じて、それぞれに報いるであろう。よく聞いておくがよい、
人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、★死を味わわない者が、
ここに立っている者の中にいる』。

ここの★の箇所を私は勝手に
「イエス様の弟子の誰かが現在も生きている。ということは今彼は2000歳以上?」
という風に捉えていました。神秘主義者が考えそうなことですね。(笑)
このブログでよく言っている、イリオンが書いた本にチベットの奥地に
不老不死の聖人がいるということを知っていたので、余計そう思っていました。

ずっとイエス様もずいぶん謎めいたことを言うもんだなーと不思議に思っていました。
当時の弟子達の間でも「不死身の奴は誰だ?!」という噂が飛び交ったぐらい。
皆さんはどんな風に思っていましたか?

私が昨日伝道師に聞いた回答は、
この「死を味わわない者」というのは実はユダのことだそうです。
「死を味わわない」というのは「自分自身に死なない」ということを表わして
いるということです。この話しの文脈をよく見てくださいと言われました。
エス様は「自分を捨てること」について話されておられます。

この箇所が「死を味わわない者達」と複数になっているのが
正しい訳だということもあるみたいですが、もしそうであればユダのように
自分を正しいとし、自分の命を失うことをよしとしない考えをずっと持っている
人々のことを指しているのだと思います。

いずれにせよこの「死を味わわない者達」は、良い意味で言っているのでは
なく、悪い意味で言っているということです。世間一般と真逆な解釈。。。
私はそれを聞いてそうなんだ!と納得しました。
(そう思わない人もいると思いますが)
つくづく聖書は勝手に解釈してはいけないんだなあと思い知らされた瞬間でした。