天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

パン種の教えのこと

エス様は「神の国はパン種のようなものである」と仰いました。
これは一体なんのこっちゃ?といつも不思議に思っていました。
何回読んでも「?」だったのが、ついこの前聖書を開いたときに「そういうことだったのか」と
ぱっと分かりうれしくなりました。

(これは私なりに理解したことで間違っているかもしれません)

パン種はイースト菌のことですが、水分を含んだ小麦粉にイースト菌を入れると
ブワーっと膨らんでいきます。神様の言葉もそれと同じで、自分が意識していなくてもある時
自分の内側で自然に大きくなっているのを感じるのだと分かりました。

例えば、女性なら私のような人はたくさんいると思いますが、私も洋服が好きで、服や髪型や
お化粧などトータルに整えることが何よりも大切だ!!と強く思っていた時期がありました。
ファッション雑誌のチェックは欠かしたことがありませんでしたし、コーディネートには気を配り、
個性的に装いたいと思っていました。

しかし一方で、服のことばかり考えていると物欲も強くなってきますし、心もすさんで、
神様の国どころじゃなくなってしまう、ということにも冷静な自分は気づいていました。
洋服が好きな思いが強かったので、これは自分ではどうすることもできない、と自分自身に
手を焼いて(?)いました。

しかし時が経って、いつのまにか自然にしていることが一番美しいことなんだと思い始めている
自分に気づきました。そして内面の輝きこそが人を一番美しく見せると思っていることにも。
これらは自分がもの凄く物欲を捨てる努力したからそうなったのではなく、ごくごく自然と
そうなっていきました。

御言葉は生きていますので、人の心に蒔かれると発芽する時がいつかやってくると思います。
それはすぐに発芽するかもしれませんし、時が経ったある日発芽するかもしれません。
初めは小さいと思っていても、いつのまにか自分の心の多くを占めるようになっていくと思います。
イースト菌が自然に膨れるように、自分の心が耕されていくのに従って、神様の言葉も自然に
大きくなっていくのだと思います。

神の国からし種のようである」ともイエス様は仰いました。からし種を見せてもらったことが
ありますが、ゴマ粒よりも小さい位の種でした。それが成長すると木ではないのに低木のようになって、鳥が止まれる位になるということです。

神様の国が自分の中で大きくなってくると、自然と自分の魂に必要のないもの=この世の色んな欲を
追い出していってくれるように思います。

自分の印象ですが、小さいうちから神様の言葉が心に蒔かれている人は、大人になってからなんとも
言えない魅力を放つようになると思います。
それは人に対する思いやりだったり、謙虚さだったり、正義感だったり…
それは御言葉が心に蒔かれて自然と大きくなっていった人の姿なのだと思います。

これとは逆にイエス様は「パリサイ人のパン種」のことも仰いました。
曲がった教えや似て異なる教えを受けた場合、やはり同様のことが心の内側で起こる危険性がある
ということだと思います。

聖霊派の教会にいたときに教会成長学や献金のこと、その他たくさん聞かされてきましたので、
それらの教えから心が自由になるのにかなり時間を費やしたように思います。
少しでもその教えに「何か変だな…」と違和感を感じるときは立ち止まって注意することが
必要なのだと思います。パン種の作用が小さいうちに摘み取れたら、自分の心が変に曲がらずに
済むのだと思います。