天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

天国と地獄のこと2

子供時代に自己憐憫が大好きになってしまった私は、すっかり自分の内側に閉じこもる癖が
ついてしまっていました。「なんて自分は可哀想なやつ」っていうやつですね。
今はこうしてここに文章に書いているのと同じくらい、人に明け透けに自分のことを話せる
ようになりましたが、幼い頃は貝のように心と口を閉ざしていた子だったと思います。

私のもう一つの地獄のような体験は、20歳の時から始まりました。
失恋が原因となって鬱的になり、2年位も毎日夜になるとひどく泣いて(人生の中であれほど
涙を流したことはありません)、生きる希望がなくなり、本当にこれは体験した人にしか
分からないと思いますが、ただただだるくて何をするにも億劫で、生きるのが辛いという状態が
7年程続きました。(あのとき早く病院にかかっていれば良かったなあと今では思います。)

その時に恐ろしい虚無の体験をしました。
ずぶずぶと地獄の方に足がひっぱられる感じがし、考えることといったら暗い方面のことばかりで、
底なし沼にゆっくりと落ちて行く感じとでもいったらいいでしょうか。
幸い洗礼を受けてから死にたい、という自殺願望は無くなっていたのですが、
希望がないという状態がどんなに恐ろしいことか、このとき嫌というほど思い知らされました。
出口が見えないというこの感覚は、きっと体験した人にしか分からないと思います。
まさしく私は地獄の世界に強く引っ張られていました。

そのような状態からゆっくりと浮上してきて、27歳のときにやっと
自分の心に明かりが灯った気持ちになりました。

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「天国は自分の心のただ中にある」とイエス様はおっしゃいましたが、
「えーっ、死んでから天国という場所に行くんじゃないの?!」
とばかり思っていました。
というかその方が自分にとって楽だから、そう思いたかった自分に気づきました。
今この地上で自分の心の中を天国のような状態にしておかないと、
死んでからも同じ状態が続きますよ、と宣教師の方に言われはっとしました。

天国は死後、魂が集まる場として確かにあると思いますが、
生きている間に自分の心を天国のような状態にしておくと、肉体を離れてからは
天国へ向かい、地獄のような状態にしておくと、死んでからは地獄へ向かって行く
ということだと思います。

心(魂)は磁石のようだと思います。
自分が引き付けられる所へ向かって行きます。
人に惹かれるのもお互い似た波長を持っているから引き付け合います。
神様に引かれていると神様の方へ向かいますし、地獄の方に引かれていると
地獄の方へ向かって行きます。

よく場の空気とか言いますが、場の雰囲気をつくっているのも一人一人の心の持ち方次第で、
その場が天国の雰囲気を醸し出したり、地獄のような、何か淀んでいるような嫌~な雰囲気にも
なったりします。クリスチャンが集まる所は天国の場をこの世で作っていると感じます。

私の場合、このような地獄を垣間見る経験を通し、自分の心が地獄の方に引き付けられないよう、
心を清く保ったり、明るく過ごすように努めたり、自分の心を守っていくことは大事なことなんだと
悟らされました。また、体験を通して同じ苦しみの中にある人の気持ちも深く理解できるように
なりました。
どちらも辛い経験でしたが、自分にとっては無くてはならない大切な経験だったのだと
今では思えてなりません。