天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「昴」ー旅する宇宙人

(ガンダムの「ザク」のようにも見える宇宙飛行士風の土偶:根室市)

 

「昴」 作詞・作曲 谷村新司

目を閉じて何も見えず
哀しくて目を開ければ

荒野に向かう道より
他に見えるものはなし

ああ砕け散る宿命の星たちよ
せめて密やかにこの身を照らせよ

我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ

呼吸をすれば胸の中 凩は吠き続ける
されどわが胸は熱く 夢を追い続けるなり

ああ さんざめく 名も無き星たちよ
せめて鮮やかに その身を終われよ

我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ

ああ いつの日か誰かがこの道を
ああ いつの日か誰かがこの道を

我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ

我は行く さらば昴よ

昴 すばる Subaru - 谷村新司 Shinji Tanimura (Re-arranged HD version) 2K - YouTube

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先日シンガーソングライターの谷村新司さんが亡くなられましたね。色んなメディアで谷村さんの大ヒット曲である「昴」が取り上げられており、改めてこの歌の壮大な世界観に思いを馳せていました。

ところで、この日記の元ネタは母から発していることが多いのですが、クリスチャンによるパウロの過剰崇拝についてもそうで、そのユニークなアイデアが湧いて来るのは、神への絶え間ない信仰とその応答によるものと思え、記録のためにもそれらを押し広げた形でここに紹介しているという訳です。他の方の研究なども取り入れながらやっているので、自分のブログであって自分のものじゃない感じがしています。

今回もその母の登場となりますが、母は数年前に末期癌を患い、今は寛解しているのですが、それまでよりもっと死後の世界や天国、魂や霊について思いを馳せるようになったようです。同時に宇宙にも関心が深まったようで、勢い宇宙人の存在にも興味が湧いてきたようです。YouTubeで関連動画を見たり、プラネタリウムに行くなどして、さかんに「宇宙人はいる、地球にも来ている」という話をするようになりました。

母の話によると、宇宙人には人間の見た目とは全く違う姿形をしたものもいるそうで、中には発電するものや、昆虫のような姿をしたものまでいるとのことです。彼らは我々とは違う発生経路を辿っており、人間より歴史が長く、独自の進化を遂げたということで、人間の基準からいえばとんでもない形をしてはいるものの、知性や科学的知識は人間よりずっと上だったりするのだと。

母は昔からシュメール文明や中近東の古代史に関心が深く、エデンの園がここにあったのではないかとか、シュメール人が一体どこから来たのか分からないという話をよくしていました。他文明とリンクしないシュメール文明の独自性から、シュメール人は宇宙から来たのではないかという説もあり、確かに出土する目が異様に大きい土偶群を見ても、何か人間離れしているような印象を受けます。シュメール人=宇宙人説は、ゼカリヤ・シッチンの惑星ニビルから来たアヌンナキ種族という説が有名ですね。日本人は宇宙人とシュメール人との混血との説もあり、我々のルーツを探る上でも注目すべき場所のようです。

自分としては、宇宙人=騙す者、神のふりをする者、その一部は悪霊、といった良くないイメージの方が強く、これらの話の半分はスルーするようにしていたのですが、日本に限ってみても、確かに縄文時代の土偶には、どう見ても宇宙飛行士風の姿をしたものがたくさんあります。それらが宇宙からやって来た異星人の姿を表したものと言われれば妙に納得してしまいます。大体昔の人は、見たものをそのまま写し取りはしても、いきなりそれを抽象化して表現するということは考えにくいのではないでしょうか。だとしたら、なおさらそこに存在していた姿のまま映し取ったと考えるのが自然です。

そうして自分でも縄文展に行ったり、埋蔵文化財センターに行ったり、写真集を見たりして、何度も縄文土偶を観察しているうちに、邪悪な恐ろしい存在というよりも、むしろ「何か可愛いなこれ」と思えてき、

「ひょっとして宇宙飛行服の中に入っている人物も、見た目と同じ面白いキャラなんじゃあ‥‥」

と、その面白さまでもがジワジワと感じられてくるのでした。きっと、中には悪い者だけでなく良い宇宙人もいるんだろうなと、だんだん考え方が変わってきました。

そんな中、谷村新司さんが亡くなるずっと前、母がいつもの宇宙人話の最中に、

「あの『昴』という曲は、故郷の惑星が消滅する前に脱出した宇宙人の歌だよ」

と言ってきました。それを聞いた時、自分もよく知っている例の「昴」の歌詞が、頭の中をさーっと駆け巡りました。

滅亡(爆発?)寸前の故郷の惑星から、漆黒の闇の宇宙空間に飛び出し、命からがら脱出した宇宙人。今まさに自分の生まれた星を捨てなければいけないという、コックピットの中にいる宇宙人の悲しくやるせない気持ちが自分の中を駆け抜けて行きました。

「あー分かる!分かるよ!宇宙人の気持ちが!」

深い諦観と、それでもなお前を向いて進んでいかねばならぬという確固たる思い。この曲の歌詞からそれらを追体験することができ、心が痛くなったのでした。

「何と壮大なテーマの歌だったのか」

これはまるで「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」の世界です。きっと昔から宇宙人達は、アーティストに作品のインスピレーションを送り、自分達の歴史や気持ち、伝えたいメッセージなどを代弁させてきたのだと思います。

母はよく「宇宙人が地球に来るのはそんな簡単なことじゃない。空気や感染症の問題、重力の違いなど、ありとあらゆる問題を乗り越えなければならず、途中で亡くなることも多い。運良く来れたとしても、環境が合わなくて帰っていくことも多く、過酷な旅なのだ」と言っていました。

既にご存知の方もいると思いますが、谷村さんご本人の話によると、引越しの慌しい時に、ふとこの歌の歌詞とメロディが降りてきたそうです。恐らく滅びゆく惑星から慌しく逃げ出す時の宇宙人の心情や状況が、引っ越しで慌しく動く谷村さんの状況と噛み合ったのかもしれません。そのタイミングで、宇宙人の気持ちを代弁する媒体として、谷村さんが日本中にこのメッセージを届けるように選ばれたのかもしれません。彼らは地球人達に、星を捨てることになった自分達と同じ道を辿ってほしくないと思っているに違いありません。

谷村さんはこの曲が降りてきた時、ほとんど自動筆記の状態で歌詞を書いたようなのですが、自分でも意味が全く分からなかったそうです。それで遠くシルクロードやインドまで探究の旅に出て、やっと見つけた答えが、「物質文明を脱ぎ捨てて精神文明へと移行する」というテーマだったそうです。自分がこの歌から感じたものは、一つの惑星を巡って住人同士で争いが絶えなくなり、ついに星を滅ぼすまでの大戦争となって、そこから他の住める星を見つけて旅することを余儀なくされたという状況でした。

ちなみに、この曲は壮大な印象ですが、天上界におられる神の世界から来た曲ではないと思いました。人間と同じ物質世界に住む(?)宇宙人からもたらされた曲だとしたら納得です。上に貼り付けた写真の土偶のような、面白い姿をした宇宙人が作った曲かもしれず、そう考えるとシリアスな歌詞とのギャップを感じて何だか面白くなってきます。

地球の古代文明は、進化論的発想では説明できない、いきなり高度な技術が発生時から花開いた訳ですが、既に高度な文明が発達した他の惑星から引越ししてきた宇宙人達がもたらしたものと考えると、辻褄が合います。我々の文明や人間の質も、むしろ時代を降るほど衰退していっているからです。

これら地球の人間に高度な文明をもたらした宇宙人が、聖書の言う堕天使と一致するのかどうか分かりませんが、天の父なる神様も今の人間の状況を憂いて、歌でも宇宙人でも縄文時代でもアニメでも漫画でも、ありとあらゆる方法を使って我々に警告を発しておられるのだと思います。

と、宇宙人がいるという大前提でここまで話を進めてきました。「世の終わり」に地球という天体が消滅すると思っているクリスチャンや一般の人がいると思いますが、神様は地球を大切に思っておられるようなので、逆に人間が核爆弾などで地球を滅茶苦茶にしないよう、むしろこうした宇宙人と協力して、それを阻止しておられるのだと思います。出エジプトで紅海が割れた時、宇宙船が飛んできて波動みたいな方法でそれをやっているように見えたという、霊視した人の話があります。また、イエス様が十字架につけられた時も、沢山のUFOが上空を舞っていたという記録もあります。

遥か未来に地球が役目を終え、消滅する時が来るのかもしれませんが、今はまだその時ではないと思っています。今は人類が悪い者達をはっきりと認識し、それを斥け、新しい時代に向けて意識を変えていく時なのではないでしょうか。神様も良い宇宙人達(いるとしたら)も、この地球という星をずっと大切に守っていくことを望んでいるのではないでしょうか。自分達の星を無くした宇宙人の実体験を通したそうした切なるメッセージが、谷村新司さんの「昴」には込められているのだと思います。