天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

縄文遺跡と蛇

昨年京都から北海道に戻ってきて、まずやってみたいことがあったのですが、それは北海道にある縄文遺跡を巡ることでした。母から「北海道の縄文文化は本州に負けず劣らず古いらしい」と聞いていたので、古代が気になる自分としては、是非見てみたいものだと思っていたのでした。

自宅から自転車で行ける距離に、その場所から発掘された土偶が展示してあるという情報を見つけたので、まずはそこへ行ってみることにしました。それは公共の施設の中にガラスケースに入れられて飾ってありました。高さ30センチ、幅18センチ位の、割と大きいプレート状のものでした。それは腰から上だけの人の形をしており、目が吊り上がり、スリットのようになっていて、もうちょっと人相を悪くしたら悪鬼のように見えなくもありません。

「これレプティリアンじゃないのか」

人間のような蛇のような、何か呪術的な迫力を感じました。北海道では今アイヌ文化のPRがさかんですが、アイヌの人達には申し訳ありませんが、自分はあの渦巻きの模様が苦手で、見ると気分が悪くなってきます。あの模様にも何か蛇的な力を感じるのです。

北海道埋蔵文化センターという所にも行ってみました。ここは北海道中の縄文土器や土偶が集まっている所で、展示は小さめでしたが結構見ごたえがありました。ここにも土偶が何体かいました。「やっぱり呪術的なものを感じる。」

縄文式土器の縄模様は、蛇の模様だという人もいて、火焔式土器同様、デザインがあまり好きではありません。どちらかというと弥生式土器のすっきりとした形の方が好感が持てます。この施設を訪問した時、龍につきまとわれている真っ最中だったこともあり、蛇的な印象が強い縄文文化にも何か危険なものを感じ、これ以上深堀りするのを止めてしまいました。

「神々の指紋」という本を書いたグラハム・ハンコックが、アヤワスカという呪術で使う液体を飲んだ体験を書いているのを読んだことがあります。変性意識状態に入ったハンコックは、自分の周りのいたる所に多数の蛇がくねっており、それがゆっくりと動いていたことを報告しています。地球上には複数の異なる次元があって、そこには人間とは異なる存在がいるようですが、麻薬を飲んだハンコックは、意識のチューニングが蛇がいる次元と合ってしまっていたのでしょう。

龍同様、これら低い次元の存在を、人間以上の強い力を有しているというだけで、神扱いにすることを、唯一まことの神は禁じておられ、嘆いておられると思います。縄文時代はよく平和だったと言われますが、これらの蛇信仰を日本各地でさかんに行っていた形跡があることは、とても残念なことだと思います。

この霊的な蛇を人が取り込んでしまうことがあることは、私の母の友人のクリスチャンがしていた話からも分かります。彼女は性格の悪い人の中に、大きな蛇や小さな蛇が住みついているのを、時々霊的な目で見るそうです。指導的立場にいる力あるクリスチャンの女性の中にもいたそうです。牧師のH先生も、高架下にいたホームレスの悪霊祓いをした時に、巨大な蛇がその人から出て行って、近くを歩いている人の首の付け根の所から入って行くのを見たという話をしていました。

私の今読んでいる「山の霊力」には、縄文文化の蛇的土偶は、蛇の強い生殖能力や脱皮を繰り返しつつ生きる生命力にあやかり、豊饒を願う気持ちを託したものであると、ポジティブに書かれていました。しめ縄が雌雄の蛇の交尾を表したものであると書いてあるし、日本人が神社で手を合わせ拝んでいるものって一体何なんだと思います。