天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「白い衣」 モーセの律法+イエスの救い(1)

これはただの考察です。(このブログ全体が自分勝手な考察ばかりなのですが)

エリエナイさんの預言書を読んでいて、「動物犠牲なんて、そんなこと私は命じた覚えなどない」と、イエス様が言っておられるのを見て驚き、「じゃあ、申命記に書かれた律法、もしくはモーセに与えられた律法は、一体どこからどこまでが、神様が我々に与えた本当の律法なのだろう?動物犠牲をせよと言ったのは一体誰だ?」と疑問に思いました。

モーセの律法とイエス様の血潮の犠牲がもたらした救いというのは、今でも両輪で有効だと思っているのですが、なぜそうなるのか不思議で、それにパウロの「律法は無くても救われる!」という横やりが加わると、さらに混乱してしまいます。自分は本来、何でも適当にボンヤリ考える人間なので、このことをあまり厳密に突き詰めたくなく、そのうち分かるだろうと放っておいていました。

そんな中、昨日家にある「ユダヤ・キリスト教封印のバチカン文書」という本を、パラパラとめくって拾い読みしていた所、次のような話が載っているのに気づきました。これを読んでいて、何か律法とイエス様の救いという、相矛盾するかのような両者(?)を繋ぐヒントがあるのではないかと思ったのでメモしておきます。

このくだりは「ヒレル」がペテロの説教を直に聞いて持った感想のようです。

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第十一章 ユダヤはなぜ滅亡したのか

ヒレル3世の第一書簡

 

(略)私は、ペテロの説教に深く心を打たれた。彼はこういった。

「ある金持ちに息子がいた。息子は、自分のために一軒の家を建ててやった。さて、家が仕上がると、息子に見せようと父は出ていき彼を連れてきた。息子はこれを歓び自分にはとても建てられないほど立派なものだといった。

父は言った。

『息子よ、私はおまえを愛している。この家をおまえにあげよう。受け取ってくれるか』

息子は言った。

『お父さん、心からお受けします。まことに有り難うございます』

さてこの話は人間の魂の家を建てようと、長い時代にわたり苦闘してきた世界を表している。彼らは、人間の律法により、神殿の建設により、犠牲を捧げることにより、主に十分の一を捧げることにより、裸足になり、頭を剃り、幾百キロもの道を歩いて神殿に巡礼することにより聖なる日と祭日を守ることにより、これを行ってきたがみな目標には至らなかった。

霊魂は疲れ果て、安息を持てず、ついに人は自分ばかりか、神と神への奉仕にさえ不満を覚えるようになった。

この絶望的状況の中で、父なる神は、イエスという人の姿を取って来られた。ユダヤ人はこの人を十字架にかけ、彼は、死において安息の家を用意してくださった。そして、今も、高い地位、安楽な人生を得ようと苦闘するのをやめ、自分が彼らのために捧げたものを受け取るよう、子供たちに呼びかけておられるのだ」

ここでペテロは言葉を切り、呼びかけた。

「これを受け取るものは誰か!」

また、ペテロは言った。

「さてこの家は見た目も良かったしどの点においても息子に相応しいものだった。だが、息子は家に家具がなかったために、これを楽しむことができなかった。そこで、息子は自分に相応しい家具を作ろうと、骨折って労働に励んだ。だが、どれも長持ちせず、自分に合いもしなかったため、すぐに無用の長物となった。そこで、父が仕事に掛かり、あらゆる家具を作って息子に与えた。どれも、場所にぴたり合い、作られた目的に適うものだったので、息子はとても喜んだ。

父は言った。『息子よ、このすべてをおまえに上げよう。私は、おまえを愛しているからだ。受けてくれるか』

息子は言った。

『お父さん、心からお受けします。自分に作る力があったとしても、これほど良いものは作れません』

さて、これは、神が世界にしてくださったことである。水ごりしたり、断食したり、祈祷したり、犠牲を捧げたり、律法のあらゆる業を行うことによって自分を清めようとする代わりに、神は永遠に続き、われわれに相応しく、神もお喜びになる清めをお与えになったのだ」

ペテロは、また語った。

「この息子はボロを着ていた。家を建て自分に合わせようとするなかで、着物は擦り切れてしまい、彼は恥を見た。そこで、着物を自分の手で織ろうと仕事にかかった。だが、すればするほど、うまく行かなかった。仕事に疲れた頃に、父が仕事にかかり、息子のために、継ぎ目のない衣を織ってやった。

父は言った。『息子よ、私はおまえを愛している。白い衣をここにこしらえた。これを受けてくれるか』」

つづく

(『ユダヤ・キリスト教封印のバチカン文書』より)