天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「イナゴ」は額に神の刻印のない者を襲う

黙示録に出てくる、人を苦しめる「イナゴ」のことを、文字どおり昆虫のイナゴだと思っていました。しかし、エリエナイさんの預言の言葉を読んでいて、これって霊的な人間を悩ます存在のことを言っているのではないかと、やっと思い始めました。その言葉は以下のものです。

令和2年(2020年)4月20日、主は言われた。

(前半省略)

「『イナゴは、地の草やどんな青物も、またどんな木も損なってはならないが、ただ、額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい、と言い渡された。』と記されているのを知らないのか。わたしは、額に神の刻印を押されていない人たちに災いを告げているのだ。」終わりの日の預言,現代の預言 (oo7.jp)

「イナゴ」の害に遭うのは、神の印のない人達であるということです。それを解き放つ許可を下したのは、他でもない神様(イエス様?)なのです。神様はご自分がこれから何かなさろうとする時には、預言者に示さずにはおられないとあります。この預言の言葉に対応する、黙示録の言葉は次の通りです。

黙示録7:3

「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちがをおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない。」

この「印」を押された者は誰かということが、次の所で示されています。

黙示録7:14

「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。」

大患難を通り、なおかつイエス様の血で自分の心(?)を清めた人ということです。人生で大きな患難を通っている人達は、それを通り抜ける中でイエスに出会い、自分の存在を清めたり磨いたりすることが期待されているのではないでしょうか。大きな患難に会っている人は、その先に希望があります。神様は「清まるまで傷つけろ」と仰っておられます。精神的にも肉体的にも非常な苦しみに遭うと、第三の目が開くというか、霊的なものが覚醒し、研ぎ澄まされるようになるようです。額から光を放っているこうした人を見ると、「この人は神の光を宿している」と思うのですが、クリスチャンと言われる人でも、その光がない人もいるし、クリスチャン以外でも宿している人たちがいます。悪魔たちはその額の光(火)を消そうと躍起になっているのです。

ところで問題の「イナゴ」ですが、2020年2月に東アフリカでサバクトビバッタが大量発生し、その後数カ月かけてインド方面まで移動していったというニュースを覚えておられるでしょうか?霊の次元で起こっていることは、時間差で現実の世界に反映してくるそうですが、この事象を通してあちらの世界で何が起こっているのかを指し示していたのかもしれません。バッタが大量に発生したというのは、霊的なバッタ(悪魔的存在)が解き放たれたということで、これから神の印のない人間を苦しめるぞという、神様からのしるしだったのではないでしょうか。エリエナイさんにイナゴに関する預言が与えられたタイミングを見てそう思いました。奇しくも2020年2月は、武漢肺炎の患者さんを大量に乗せたダイヤモンドプリンセス号が、横浜港に着岸した時です。

次の黙示録9:1〜11の言葉を読んでみて下さい。

「第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗くなった。その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。彼らは、人間を殺すことはしないで、五か月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であった。その時には、人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである。これらのいなごは、出陣の用意のととのえられた馬によく似ており、その頭には金の冠のようなものをつけ、その顔は人間の顔のようであり、また、そのかみの毛は女のかみのようであり、その歯はししの歯のようであった。また、鉄の胸当のような胸当をつけており、その羽の音は、馬に引かれて戦場に急ぐ多くの戦車の響きのようであった。その上、さそりのような尾と針とを持っている。その尾には、五か月のあいだ人間をそこなう力がある。彼らは、底知れぬ所の使を王にいただいており、その名をヘブル語でアバドンと言い、ギリシヤ語ではアポルオンと言う。」

イナゴの尾には毒があり、それに刺されるとさそりに刺されたような痛みがあり、人を5カ月の間苦しめると書いてあります。コロナワクチンを打ってその副反応で苦しんでいる人々は、実際にどのような痛みを感じているのでしょうか。人通りの少ないこのサイトでさえ、ここ1年以上も人気記事の所に、「コロナワクチンの解毒方法」がいつも上位5位内に入っているのが見えます。現実に苦しんでいる人がいかに多いかを思わされます。この害はテレビのニュースでは伏せられていますが、世界的に起こっていることであり、黙示録の言葉との対応を考えさせられます。

この黙示録の言葉の太字にした部分ですが、ここを読んでいて、ふと「これってアーコンのことを言っているのでは?」と思いました。「アーコン」とは何かと言うと、密かに人間を苦しめるとされる、不可視の極小の悪魔的存在のことです。このようなものがいるということが、自分がよく見るサイトで昔紹介されていたことがありました。

日本や世界や宇宙の動向 : アーコン を含む記事 (livedoor.blog)

アーコンについて海外のサイトを調べてみると、ナグ・ハマディ文書についてまとめているサイトに、「ヤコブの最初の黙示録」という文書の訳が載っており、イエスがアーコンのことについて述べている箇所があることが分かりました。ナグ・ハマディ文書とは何かというと、1945年に上エジプトで見つかった、古代キリスト教について書かれた古文書のことです。

しつこいですが、エリエナイさんのサイトをじっくり読む中で、我々が現在手にしている聖書66巻の形は、ローマ・カトリックが中心となって、彼らの体制に相応しいように「正典」を集めて作ったもので、彼らの意図から外れるものはことごとく無視し、異端とし、捨て去った経緯があることを知りました。イエスの兄弟ヤコブを中心としたエルサレム教団は、ローマ・カトリック勢力から迫害され、ことごとく追われて散らされてしまい、本来正統であるはずの、イエスの教えを受けた12弟子の福音が排除される形となり、代わりにローマ側と結託した、イエスの弟子と偽るパウロの教義を中心に編まれることになったようです。

このことを踏まえて、下に貼り付けた「ヤコブの最初の黙示録」を読んでみて下さい。以前書いた「ヤコブ対パウロ」の記事でも紹介しましたが、ヤコブはイエス亡き後、その教えを引き継ぐ役割を、イエス様から直接託された人物だったようです(通説ではペテロとされているが、これは誤り)。ヤコブという人の存在にも興味があったので、この文章を読んでみたいと思いました。いつものDeeplという翻訳サイトを利用して訳してあります。後半は謎の部分が多いので割愛しました。これからまさに十字架に架けられようとしている/架けられた(?)イエス様が、恐れおののくヤコブを励ましている様子が、緊迫感と共に伝わってきます。イエス様とヤコブの間の厚い信頼関係も感じられます。

その中に「アーコン」の存在について、イエス様がヤコブに説明されているシーンが出てきます。イエスは、彼に守られる者はアーコンに打ち勝ち、害を与えられることはないと言っています。この文書をローマ・カトリックに排除された原始福音の一つと取るならば、ここで言われているアーコン(悪魔)の存在が、現在の聖書ではことごとく隠されてしまっていることが伺えます。これが自分には、黙示録で言われている「イナゴ」と同義のように思えてくるのですが、皆さんはいかが思われるでしょうか。

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ヤコブの(最初の)黙示録

ウィリアム・R・ショーデル訳

 

私に語りかけたのは主である。

「今、私の贖罪の完成を見よ。私の兄弟ヤコブよ、私はあなたにこれらのことのしるしを授けた。あなたがたが物質的には兄弟でないにもかかわらず、わたしがあなたを兄弟と呼んだのは、理由がなかったからではない。わたしはあなたについて知らないわけではない。わたしがしるしを与えるとき、それを知り、聞くように。

「彼-在る者」の他には何も存在しない。彼は名状しがたく、言いようのない存在である。私自身もまた、名付けられない者であり、かれの御許から、幾つもの名-彼の御許から二つ-を授かったのと同じである。そして、私はあなたの前にいる。

あなたが女であることについて尋ねたので、女であることは存在したが、女であることが先ではなかった。そして、それは自らのために権力と神々を準備した。しかし、わたしが現れたとき、それは存在しなかった。なぜなら、わたしは「存在する者」のイメージだからである。

しかしわたしが彼の像を生み出したのは,彼=イスの子らがどんなもので、どんなものが(彼らにとって)異質なものであるかを知るためである。見よ、わたしはこの謎の全てをあなたがたに明らかにしよう。彼らは明後日わたしを捕らえるだろう。しかし、私の贖罪は近い。」

ヤコブは言った、

「先生、あなたは『彼らは私を捕らえるだろう』とおっしゃいました。しかし私はどうしたらいいのでしょうか?」

彼は私に言った、

「恐れることはない、ヤコブ。ヤコブよ、恐れるな。しかし、エルサレムから離れなさい。彼女はいつも光の子らに苦い杯を与える者だからだ。彼女は多くのアーコンが住むところだ。しかし、あなたの贖罪により彼らから守られるだろう。彼らが誰であり,どのような種類であるかを理解するためにも,あなたがたは[...]。そして聞け。彼らは[...]ではなく、アーコン[...]である。この十二人の[...]は、自分のヘブドマッド(※)に[...]アーコン[...]を[...]下すのである。」

(※管理人註:ヘブドマッド・・・アーコンが創造した七つの世界。神格の最後の発露にして最下層の存在。半敵対的な力。彼らの配下には、彼らから派生したと見なされる、悪魔的な力の世界があるという。)

ヤコブは言った、「先生、それでは聖典にあるような七つの分周期ではなく、十二の分周期があるのでしょうか」。

主は言われた、

「ヤコブ、この聖句について語った者は、限られた理解しか持っていなかったのだ。しかし、わたしは数のない者から出たものをあなたに明らかにしよう.その数について私はしるしを与えるであろう.測りのない者から出たものについては、その測りについてしるしを与えよう」。

ヤコブは言った、

「先生、見て下さい!私は彼らの数を受け取りました。七十二の測りがあります。」

主は言われた、

「これらは七十二の天であり、彼らの下位のものである。これらは彼らのすべての力の力であり、彼らによって造られた。これらは十二のアーコンの権威の下に存在し、至る所に分布していた者たちである。彼らの中の劣った力は、自らのために天使と無数の軍勢を生み出した。しかし、『彼・それ』は『彼・それ』のために[...]与えられ、[...]彼らには数がない。もしあなたが今、彼らに番号を与えたいと思うのなら、あなたの盲目の思考、あなたを包むこの肉の絆を捨て去るまで、あなたはそれをすることができないだろう。そうすれば、あなたは「彼=在る者」に到達することができる。そして、あなたはもはやヤコブではなく、むしろあなたは「存在する者」なのだ。そして、数えられぬ者たちは、すべて名付けられるだろう。」

ヤコブは言った、

「先生、これらのすべての力とこれらの軍勢が私に対して武装しているので、どのような方法で私は彼-在る者に到達することができますか?」

彼は私に言った、

「これらの力は、特にあなたに対して武装しているのではなく、別のものに対して武装しているのだ。彼らが武装しているのは、私に対してである。そして、彼らは他の力でも武装している。しかし、彼らは裁きのために私に対して武装しているのだ。彼らは,その中で私に[...]を与えず,彼らを通して[...]を与えたのだ。この場所で[...]苦しみながら私は[...]する。彼は[...]し、私は彼らを叱ることはないだろう。しかし、わたしの内には沈黙と隠された謎とがある。しかし、わたしは彼らの怒りの前に気弱になる。」

ヤコブは言った、

「先生、もし彼らがあなたに対して武装するならば、非難はないのですか。
 あなたは知識を持って来られたのです。
 彼らが忘れてしまったことを戒めるために
 あなたは記憶とともに来たのです。
 彼らの無知を戒めるために。
 しかし、私はあなたのために心配していました。
 あなたは大いなる無知に身を落としたからです。
 しかし、あなたはその中の何ものによっても汚されなかった。
 なぜなら、あなたは大いなる無知の中に降り立ったからです。
 あなたの記憶は残っていた。
 あなたは泥の中を歩いた。
 あなたの衣は汚されなかった。
 あなたはその汚物の中に埋もれたことがない。
 そして、あなたは捕らえられたことがない。
 わたしは彼らのようにではなく、彼らのすべてを身にまとっていた。
 わたしのうちには忘却がある。
 しかしわたしは彼らのものでないものを覚えている。
 わたしの中には[......]がある。
 わたしは彼らの[...]の中にいる。
 [...)知識[...]の中にあるのではなく,彼らの苦しみ[...]の中にある。しかし彼ら 
 が支配しているので、わたしは彼らの前で恐れるようになった。彼らは何をするのだ 
 ろうか。わたしは何を言うことができるだろうか。また、どのような言葉を言え 
 ば彼らからのがれることができるだろうか。」

主は言われた、

「ヤコブ、私はあなたの理解と恐れをほめよう。もし、あなたが悩み続けるとしても、自分の贖罪のほかには、何事も思い煩ってはならない。見よ、わたしは天から語られたように、この地上にこの運命を完成させる。そして、あなたがたの贖罪を明らかにする。」

ヤコブは言った、

「先生、このようなことの後、あなたはどのようにして、再び私たちの前に現れるのですか。彼らがあなたを捕らえてこの運命を終えた後、あなたは、あの方のもとに上って行くのです 。」

主は言われた、

「ヤコブ、これらのことの後、私はあなたにすべてを明らかにする。あなたのためだけでなく、人々の不信仰のために、彼らの中に信仰が存在するようにするためである。多くの人が信仰を得るようになり、[...]が増すからである。そしてこの後、わたしはアーコンへの戒めのために現れるであろう。そして私は彼らに、彼は囚われ得ないことを明らかにする。もし彼らが彼を取り押さえるならば、彼は彼ら一人一人を圧倒するだろう。しかし今、私は去ろう。私が話したことを思い出し、それらをあなたの前に上げよ。」

ヤコブは言った、

「主よ、おっしゃるとおり急ぎます。」

主は彼に別れを告げ、ふさわしいことを成就された。

ヤコブが彼の苦しみを聞いて、非常に心を痛めたので、彼らは彼が来るしるしを待った。そして, 数日後, 彼が 来た。ヤコブは、「ゴーゲラン」と呼ばれる山の上を弟子たちとともに歩いていたが、弟子たちは悩んでいたのでヤコブに耳を傾け、「これは[・・・]第二の[・・・]だ」と言って、慰め者となった。それから 群衆は 散ってしまったが、 ヤコブは習慣どおり祈り[...]を[...]続けていた。

すると主が彼に現われた。そこで彼は祈りを止めて彼を抱きしめた。そして彼に口づけして言った。

「先生、あなたを見つけました。私はあなたが耐え忍んだ苦難のことを聞きました。そして大いに悩みました。あなたへの私の心配は、あなたもご存じでしょう。それでよく考えてみると, この民に会いたくなかったのです。彼らはその行ったこれらのことのために、裁かれなければなりません。彼らの行ったこれらのことは、ふさわしいことに反しているからです」。

主は言われた。

「ヤコブ、私やこの民のために心配することはない。私は私の中にいた者である。わたしは一度も苦しんだことがなく、悩んだこともない。また、この民は私に何の害も与えていない。しかし、この(民)はアーコンの一種として存在し、彼らを通じて滅ぼされるのが当然であった。しかし、[...]アーコンたちは、[...]を持っているが、[...]に怒って以来、正しい[...]はその下僕である。したがって、あなたの名前は「正義のヤコブ」である。私を見れば、いかに自分の目が覚めているかがわかるだろう。そして、あなたはこの祈りを止めた。さて、あなたは神の公正な人なので、私を抱きしめ口づけをした。まことにあなたに言うが,あなたは自分に対して大きな怒りと憤りをかき立てたのである。しかし、(このようなことが起こったのは)この他の人たちがなるようにするためなのだ。」

しかし、ヤコブは怯えた(涙を流した)。そして非常に思い悩んだ。それから二人は岩の上に腰をおろした。主は彼に言われた、

「ヤコブ、こうしてあなたはこれらの苦しみを受けることになる。しかし悲しんではならない。肉は弱いからである。肉は弱いので、そのために定められたものを受ける。しかしあなたについては、臆病になったり、恐れたりしてはならない。」

主は止められた。

そうして、ヤコブはこれらのことを聞いて目の涙をぬぐい、非常に苦しい[...]であった。(以下略)

The (First) Apocalypse of James -- The Nag Hammadi Library (gnosis.org) より