天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

艱難前携挙は偽の教え

「・・・これは!」と、文章から透けて見える人格にも惹かれ、黙示録研究家のディビッド・ニカオさんのサイトの訳出に熱中してきましたが、アウトラインを粗方伝える所まで行けたと思うので、そろそろ熱も収まってきました。

携挙と聞いていつも思い出すのが、昔お世話になった牧師さんが、「クリスチャンになったばかりの方に、空中に浮き上がってイエス・キリストと再会するという話をしたら笑われたんですよ。」と仰っていたことです。

象徴を通して語られる黙示録ですが、もしかしたら「主と空中で会う」というのも字義通りでなく、聖霊が降った時のような、見えざる霊界で行われる何らかのシステム変換なのでは?と思えてきます。

興味本位の関心は別として、日本人はほとんど黙示録に対しては無関心だと思いますが、西洋諸国がドンパチ霊的な戦いを繰り広げている一方で、そんなことも知らないで蚊帳の外にいるこの国が、最後に漁夫の利を掴むことになったりして。

ニカオさんの研究に対し、ところどころ「? 自分はそう思わない。」と思ってもよいのではないかと思います。扉を叩き続けてさえいれば、神様によって巻き物が開かれた時、自然と見えて来るものがあるのではないかと思います。

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<艱難前携挙の神話>

神の言葉は携挙(携挙)について何を言っているのかを、この研究で見ていきます。聖書はこの出来事についてとても真っ直ぐに述べているにも関わらず、あまりにも多くの人々が、聖句の意味をあれこれと考えています。

ダニエルの第70週は、メシアが彼の血の犠牲で永遠の新しい契約を確認した69週の後に、時間通り成就しました。彼と彼の弟子達は7年間ユダヤ人に福音を伝えましたが、その後異邦人にも伝えられました。ですから、それは将来に起こる7年間の艱難期間ではあり得ず、そのことは艱難前の携挙の概念を無効にします。

これを証明する聖書研究を読むには、「ダニエルの70週間の騙し」をクリックしてください。
http://70thweekofdaniel.com/

マタイによる福音書28:18-20でメシアは、艱難前の携挙が終わるまでではなく、世界の終わりまで、私達と一緒にいると言いました。

「イエスは彼らに近づいてきて言われた、『わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。』」

メシアは私達に、ヨハネによる福音書6:40、44および54で、最後の日に死者を甦らせることを、繰り返し告げています。

「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう。」

「わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。」

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。」

Ⅰテサロニケ5:2は、霊的な暗闇にいる人々の日です。
「あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。」

それから4-6節は言います。
「しかし兄弟達よ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。 あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたし達は、夜の者でもやみの者でもない。 だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。」

私達がメシアの光の中にとどまっているならば、私達は驚きに捉えられることはありません。


Ⅰコリント15:51-52
「ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたし達すべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたし達は変えられるのである。」

ヨハネの黙示録11:15
「第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、『この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう。』」

1テサロニケ人への手紙4:15-17によると、携挙は秘密ではないし、最初死んだ人々が甦った後に、私達は「追いつく」ことになるでしょう。

「わたし達は主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたし達が、眠った人々より先になることは、決してないであろう。すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたし達が、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。」

これはマタイによる福音書24:29-31のように、「そんなに秘密ではない」出来事です。そこでは死んだ者が立ち上がり、その後生きている聖徒が続きます。

ヨハネによる福音書16:33で、メシアは私達に苦難があると言いました、
「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」

パウロはテサロニケ人への手紙5:9で、メシアの帰還を待つことに対し、冷静になるようにと私達に告げましたが、私達は彼の怒りに直面することはありません。

「神は、わたし達を怒りにあわせるように定められたのではなく、わたし達の主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。」

私は聖書が私達に、終わりの時に人々が苦難を経験し、獣のシステムに直面すると言っているのを知っています。最後に、死者は蘇ります。そして、そのとき生きている者は、メシアに会うために空中で捕らえられます。それから彼の憤りは、彼を拒絶した人々を裁くために地球に注がれるでしょう。

メシアはラッパの祭りにおいて、花嫁を迎えるためにやって来ます。神はイスラエル人に、約束されたメシアを指し示し、それを祝うために7つの祭りを与えました。メシアは過越の祭で死んだ時など、既に4つの祝宴を成し終えています。正確な時間に正確な詳細をもって。

次の祭りはラッパの祭りであり、それはイエスが彼の花嫁のために戻ってくることです。(その祭りを祝うのは)救世主が預言の成就において正確であることを分かっており、ラッパの祝宴が、イエスが花嫁のために帰って来ることを表していることも分かっていてです。


「ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。」
Ⅰコリント15:51-52

「すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。 」


Ⅰテサロニケ4:16-17
メシアがラッパの祭りの間に戻るのは、論理的でないでしょうか?ラッパの祭りの10日後が贖罪の祝宴で、キリストが教会を裁く時となります。ラッパの祭りの15日後が幕屋の祝宴で、私達が婚姻を祝う時となります。

それではっきりと分かるでしょう。裁きと婚姻の祝宴が起こるのは、メシアが彼の花嫁を集めるために戻った直後であり、その7年前ではありません。

7つの祭りについての詳細、またそれらがイエスが再臨することをどのように示しているかについては、「イエスが帰る時を知る者は誰もいない」をクリックしてください。
https://blogs.yahoo.co.jp/lostsheep019/40980284.html

「子羊の婚姻の祝宴」は最後の時であり、メシアが彼の白い馬に乗って戻って来る7年前ではありません。黙示録19:8-9は、花嫁は黙示録19まで準備ができていないと言い、私達は艱難の終わりにいるのです!


「第二の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えさかっている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして、海の三分の一は血となり、海の中の造られた生き物の三分の一は死に、舟の三分の一がこわされてしまった。」
それから「救い主の再臨」があります。
「またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、『忠実で真実な者』と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。」
ご覧のように、信者は携挙されイエスと共に祝宴にあずかり、その一方地上にいる人々は7年間の艱難に耐えることになると教える教師は、誰でもエロヒムの言葉に反しています。

メシアを信じる者は、過去2000年の間苦難に直面してきました。それが浄化と試練の一部であるからです。メシアの弟子達は迫害され殺されました。使徒ステファノは投石されました。パウロは殴打され、投石され、迫害されました。何百万ものクリスチャンが、ユダヤ人、ローマ人、そしてローマカトリック教会の手によって殺されてきました。

今日他の国では、多くのクリスチャンが彼らの信仰のために、迫害され殺されています。エロヒムはどうして私達を特別に扱うことがあるでしょうか?信仰のために死んだ人達よりも、私達は優れていると思いますか?

メシアは黙示録3:14-16で、私達はラオデキアの教会であると告げました、そして彼は私達が惨めで、惨めで、貧しく、盲目で、裸であると言いました。そして「生ぬるい」ので、私達が悔い改めない限り、口から私達を吐き出すと仰いました。

サタンの艱難前の携挙神話が、どれほど効果的であったか理解できるでしょうか?艱難前に携挙が起こるという神話により、金融システムが崩壊する時に、私達に苦難への備えをさせないということを引き起こしてきました。

あなたは自分自身と、あなたの家族を守ることができるように準備する必要があります。そうしないなら、毎日を周りの人々を助けるのに費やすのではなく生き残ることをはかるのに費やされることになるでしょう。

世界が最後の数日間で苦しんでいるとき、人々はメシアが来るという朗報に、これまで以上に必死になります。それは私たちを霊的に備えさせないばかりでなく、終末のサタンの計画について本当のことを識別することができなくさせてきました。

偽預言者に騙されないように注意する必要があります。あなたはエロヒムの完全な鎧で自分の身を守る必要があります。サタンは世界を絶望に追い込み、彼らに、必要とする物を与え、平和を与えることができる救世主を求めるようにさせるでしょう。

ペンディング中の財政崩壊と共に、世界的な食料と水の不足が起きるでしょう。戦争と暴動の増加、それから偽のメシアの出現…世界は獣の印を受け入れるでしょう。

ヨハネの黙示録12:12,17は、
「龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。」

あなたは自分の信仰に答えを与える準備をする必要があり、獣のシステムに服従し、メシアを否定することがないようにして下さい。反キリストは結局一人の人間ではなく、メシアの時代から働いてきたシステムのことを指しています。

サタンの欺瞞はクリスチャンに、バビロニア人やローマカトリック教会を支配するイエズス会を、クリスチャンのように見せかけています。

「ダニエルの小さな角」と「黙示録の獣」についての聖書研究を読むために、ダニエルと黙示録の獣をクリックして下さい。

実のところ、聖書のどこにも7年間の艱難があるとは言われていません。あなたがそれを疑うならば、聖書のどこに7年間の艱難があると書いてあるのか、牧師に聞いてみて下さい。艱難前の携挙の神話は、聖書に支持されていない7年間の艱難の概念に基づいているのです。未来に起こるとされるダニエルの70週目、それは聖書によって支持されてはいないのです。

■The Pre-tribulation Rapture Myth からの訳です。
http://christianitybeliefs.org/end-times-deceptions/the-pre-tribulation-rapture-myth/