天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「主は、生きておられる」(19)

病院伝道(2)

しかし彼の口から弱々しい声で、「先生、ご相談したいことがあるんです・・・」という思いがけない言葉が飛び出しました。彼は私を先生と敬語で読んでくれたのです。彼が私にそんな敬称を使ってくれたのは初めてでした。

今まで私は彼から数え切れないほどの悪称で呼ばれてきました。「キリストのくそ坊主」とか「偽善者」とか、文字で書けないような卑劣な言葉を人々の前で罵られたのです。その彼が私に、「先生。ご相談したいことがあるんです」と言っているのです。私は彼の内にどういう変化が起こったのだろうかと驚きました。彼にそうまで言われると私は逃げ出すわけにはいきません。私は彼を人目につきにくい木陰へ連れて行って、向かい合って座りました。

彼の心は非常に動揺していました。全身が極度の緊張のために震えており、何かに怯えているような目は、絶えず宙をさ迷っていました。そして彼は搾り出すような悲痛な声で、「先生・・・助けてください・・・」と懇願し、彼の言葉は何を言ってるのか支離滅裂でその意味を容易に理解することができませんでしたが、彼の心の深い苦しみのうめきが私にひしひしと伝わってきました。

彼の話をまとめると、日増しに強度になってきたノイローゼは、もう医師や看護婦さんたちの手に負えなくなり、精神病院への転院が決定したそうです。そして明朝、精神病院から迎えの車が来ることになっていました。この住み慣れた病院にいてさえ、自分に襲いかかる不眠症と被害妄想のために苦しめられていたのに、見知らぬ精神病院へ移されることになった彼は、そこでどんな生活が自分を待っているのかと思うと絶望的になったのです。

そして彼が最後に思いついたのが私の存在です。彼は私に対して自分がどのようなことをしてきたかを十分に知っていたはずです。どんなことがあっても、私にだけは助けを求めたくなかったでしょう。その彼が私に助けを求めてきたのです。彼の藁にもすがりたい絶望の苦しみの深さが分かるような気がしました。

彼は私の前でぽろぽろと大粒の涙を流しながら、しどろもどろになって私に哀願を続けていました。その姿を見ていると、私も涙が込み上げてきました。そして彼に迫害された苦しさも忘れました。私自身も彼がこれから行こうとしている精神病院を経験してきた人間です。できることなら、彼をそこから助けてあげたいと思いました。しかし今となっては私に何ができるでしょうか。病院側はすでに彼を明朝、精神病院へ移転することを決定しているのです。部外者の私がそれを変更させることはできません。

彼が私に助けを求めている問題は、私にとっても絶望的な問題でした。私は彼のために祈ってあげて帰ろうと思いました。しかしもう一方の思いの中には、彼がもっとも助けを求めたくない人間に助けを求めているこの事実を見た時、それでいいのだろうかと痛みを覚えました。こういう事実に出会うごとに、私はいつも自分の信仰の弱さと無力さとを感じてしまうのです。戸惑ってしまうのです。

その時、私の脳裏に一つの出来事が思い出されました。私がイエスさまに救われて、三日間私の魂が暗黒の中に落ち続け、精神病院の中で意識が戻った時のことです。その病院の庭で神さまに感謝をささげている時、一人の青年のために祈った出来事を思い出したのです。神さまは即、私の祈りを聞いてくださり、青年は私のいる所で罪を告白し、聖書を読んで退院して行きました。Kさんの悲惨な苦しみの姿を目の前にしてどうすることもできなかった私は、その出来事が心をかすめたのです。私はそれが、神さまがKさんを助けてくださるたった一つの方法ではないかと思いました。

そして私は思い切って彼を罪の告白に導こうと決心した時、私の心の中に神さまの前に妨げになる一つの問題を示されました。それは私にとって罪とも言えない問題でしたが、祈りの妨げになっていることを強く感じたのです。その問題というのは、その日の昼、私は神学校で上級生と喧嘩して、和解しないままに病院伝道に来てしまったのです。そのことが私の心に引っかかっていました。自分のことさえ解決できていない人間が、彼のために祈って解決できるだろうかと心に責めを感じました。しかし私は、追い詰められた彼を残して、今から神学校に帰り上級生に謝罪し、和解してからもう一度引き返すわけにはいきません。この時を逸すれば彼の心が変化してしまうのです。

私は覚悟を決めました。彼の目の前でまず私が神さまにその罪を洗いざらい告白して赦しを求めようと決心しました。そうでなければ私が彼のために祈る祈りは虚しくなるからです。しかし、そうすることは私にとって非常に危険なことでした。伝道者としての弱点をもっとも知られたくない彼の前でさらけ出さなければならないからです。それは猛獣の前に裸で立つような恐れを感じました。彼こそ、この数カ月の間私の弱点を嗅ぎ出そうとするハイエナのように嗅ぎまわっていた人物です。

しかし神さまは、実に不思議なお方だと思うのです。私がそうなら、彼もそうなのです。そして彼はすでに私の前に助けを求めてきました。お互いに弱点を知られたくない者同士が、今こうして神さまの前にいるのです。

私は彼の前ではっきりと自分の罪を具体的に告白しました。私の告白の祈りがまだ続いている時に、突然彼もしどろもどろな声で祈り始めたのです。私がこの病院で伝道を始めた頃、短い期間でしたが彼の病室で集会を持ちました。そのことが本当に良かったと思いました。彼はその時に神さまに祈ることを見て知っていたのです。そして彼の口から驚くべき罪の数々が告白されたのです。彼は何度も涙で絶句しました。私は神さまの深いあわれみのご臨在に打たれました。そして共に祈り終わった時、私は彼の手を握って励ましました。その時、私は不信仰にも心の中で、「これが彼との最後になるかもしれない・・・」と思ったのです。

次の週、病院に伝道に来た私は、Kさんが門の前で私を待っている姿を見て驚きました。彼は私を見ると走り寄って来て、「先生。ありがとうございました!」と深々と頭を下げて礼を言いました。そしてその後に起こった出来事を話してくれました。

先週のその夜、彼は数カ月ぶりにぐっすり眠れたそうです。そして翌朝目が覚めた時、何とも言えない平安に包まれていたそうです。彼は自分のノイローゼが完全に癒やされていることを知り、医師も看護婦さんたちも彼が正常に戻ったことを認めることができたそうです。

その朝、精神病院から迎えに来た車は空のまま帰りました。その出来事は私にとっても何と大きな驚きだったことでしょうか。『神は罪人の言うことをお聞きいれになりません。』というみことばを、もう一度実感させていただきました。

その後Kさんが、病院伝道のために重要な協力者になってくれたことは言うまでもありません。そして、彼と共に祈った夜、神学校に帰った私は、喧嘩をした上級生の前で床に手をついて謝罪し、和解したことも付け加えておきます。

(つづく)