山の祈り場(2)
救われる前、私は聖書を七か月夢中になって読み続けましたが、その時そういう読み方はできませんでした。頭の中の雑音が多すぎて駄目でした。そのことを聖書的に表現すると、私は「パンのみによって生きた者」だったからです。私の死んでいた魂が救いによって生かされた時、「神の口から出る一つ一つのことばによって生きる」になっていたからです。聖書の神のみことばに敏感に反応する者になっていたからです。
私がいた病室は静かに聖書を読める場所ではありませんでした。重症部屋のように静かではありません。絶えず人の出入りが多く、ラジオの音とか雑談の声がしていました。私は病室を抜け出し、病院の前にある小高い山の中に入って行きました。神さまと静かに交わり、聖書を読み、感謝をささげるための場所を探し求めるためです。
やがて谷間に突き当たりました。そこを祈り場に決めました。私が立っている場所の頭上には何トンもあるような大きな岩の塊が崖から突き出ていました。今にも私の頭上に落ちて来そうな場所です。「ここなら、命がけで祈ることができる」と満足しました。
私は毎日、雨の日以外はこの場所に来て聖書を読み、下手な覚えたての讃美歌を歌い、大声で神さまに語りかけ、そして神さまの御声に耳を澄ませました。私はそこで力いっぱい、「天のお父さま!」と叫ぶことができました。
五歳の時に父に死なれ、六歳の時にも養父に死なれて、「お父さん」と呼んだ経験のない私には、どんなに嬉しかったことでしょうか。これからの私の人生には、天のお父さまがいつもいてくださるのだ、と実感した時、涙がこぼれました。
私は一年間、この山の中で神さまと交わりを持ちました。神戸の街は冬でもめったに雪が降らない暖かい土地ですが、それでもひと山北に越えると道路は凍結し、雪も積もります。私の祈り場も雪がよく積もりました。丁度ひと山越えた所にあったからです。私は雪が積もっても銀世界になった山の中に入って行きました。主は私の祈り場を祝してくださり、ひざまずく場所にだけ雪がないのです。頭上の突き出た大きな岩がひさしとなって雪をさえぎってくれたのです。そしてその場所が谷間の突き当たりなので、枯れ葉が風に運ばれて吹き溜まりとなり、私の膝のクッションになってくれました。
私の今までの信仰生涯の中で、この祈り場の一年間が一番輝いていました。そして信仰というものが、人に知られる部分よりも、神さまに知られる部分を多く持つことであるということを徹底的に学ばされました。教会生活のできなかった私に、ここが私の教会であり、主が私を訓練してくださる場所であり、主が私を証し人とするために、主が私を身近に置いてくださった場所でした。
この時から二十年後、この山と谷は、市の土地整備計画により山は削られ谷は埋められてしまいました。その祈り場の場所にはミッションスクールのチャペルの十字架の塔が建っていました。
(つづく)