天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「主は、生きておられる」(18)

病院伝道(1)

(注:伝道団体のやり方を無視した方法で伝道を始めたことで、団体から奉仕の場を干され、反旗をひるがえして無断で病院の開拓伝道をすることにした)

最初に集会を持った病室にはY兄のほか、三十年の入院記録を更新しているKさんというボス的な存在の人がおりました。こういう人がいる病室には、暇をもて遊ばせている患者さんたちが集まって来るものです。その意味で私はこの病院の中で最も条件の良い病室を集会場にしていたわけです。

ところが、人が集まり過ぎてその部屋が狭くなったので、Y兄は自発的にもっと広い病室に転室してくれたのです。集会場所もそこに移しました。そうなると、もとの病室には人が集まらなくなり、この時からボス的存在であったKさんは私に対して豹変したのです。無理もありません。私が現れたから彼の住み心地よい生活環境が一変してしまったからです。

彼は私に陰湿な態度を取るようになりました。私の顔を見るたびに暴言を吐くのです。病院伝道者として、私は彼の病室を避けて通るわけにはいきません。全部の病室を回らなければならないからです。しかし彼の嫌がらせが日増しにエスカレートしていくと、闘争心の旺盛な私がいつ爆発するか分かりません。それが怖かったのです。私には今までの病院伝道で暴れたようなことはできません。今の私にはこの病院に神さまが遣わしてくださったという使命感と責任感がのしかかっています。ここでは私が神さまのしもべとして模範とならなければならないのです。

同級生が時々私の伝道ぶりを見に来ました。そして彼らは言うのです。「忠さんは偽善者だ。学校内で暴れている忠さんとここでの忠さんはまったく違うではないか。まるでここでの忠さんは、イエスさまのように敬われているではないか」と、彼らの言うとおり、私はイエスさまの弟子でいなければならないのです。

当時は、新興宗教の盛んな時代でしたから、どの病室にも一人や二人の偶像を拝んでいる人たちがいました。私は彼らにも平等にトラクトを配らなければならないのです。彼らは私の目の前でトラクトを破り捨てますが、そんなことをされたからといってその病室を通過しては伝道になりません。以前のように彼らと論争したり敵対視することもできないのです。こういう立場に私を置いて、神さまは私を訓練されていることを感じました。

しかし正直なところ、Kさんの病室に入る時だけは苦痛を感じました。陰険というか露骨というか、とにかく私に浴びせる罵詈雑言の種類が毎回違うのです。それはまるでサタンが私を挑発して爆発させ、私の使命を破滅に追い込もうとしているようでした。

こんな時には伝道者の辛さみたいなものが分かるような気がしました。過去において加害者の立場ばかりの私が、いざ被害者になってみると、私の被害者になってくださった人たちの気持ちがよく分かりました。Kさんの迫害は何カ月も続きました。私とY兄はこの問題のためにただ祈るだけでした。

そのうちにKさんの様子が少しずつおかしくなったことに気づきました。私に対する迫害が以前のように迫力と凄みがなくなりました。私に対して柔軟になったのかといえばそうでもありません。今まで吠えて嚙みつきそうな犬が唸り出したという感じです。相変わらず私に対する憎悪の念は消えていませんでした。

やがて私はKさんの変化の原因が分かりました。彼はひどいノイローゼにかかっていたのです。そしてそれが日増しに強くなり、彼と会うたびに形相が変わってきました。目が吊り上がり、落ち着きがなくなってそわそわし、何かに怯えているようでした。Y兄の説明によると、まず初めに不眠症になり、次に被害妄想になり、他人の会話が自分の中傷に聞こえ出したのです。だから彼自身はいつも周囲の人たちとトラブルを引き起こし、誰も相手にしてくれないようになりました。そして孤独に追い込まれ、もはや自分をコントロールできなくなったのです。

やがてそれが医師や看護婦たちにも被害が及ぶようになりました。彼は看護婦さんが持ってくる薬が毒薬のように思えて、病院側が自分を早く殺してしまおうとしている、という強い被害妄想に捕らわれてしまいました。その頃になると彼の姿は悲惨なものでした。狂人の一歩手前の状態になり、彼を恐れて誰も近づくものはいなくなりました。

私たちは彼のために祈りました。私自身の思いの中にも、私がこの病院に伝道に来たことによって、彼をそのように追い詰めた責任を感じていたからです。

ある日、集会が終わって病院を出ようとした時、門の所でKさんが凄い形相をして立っていました。私は思わずギョッとしました。彼の姿はまさに鬼気迫るものが感じられました。私は、「これは、やばいぞ!」と思ったほどです。

(つづく)