天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「主は、生きておられる」(20)

山が動いた祈り(1)

神学校が夏休みに入ったある日、私は久し振りに神戸療養所を訪ねてみようと思いました。(中略)私がそこを訪ねようとした理由は、私が一年間神さまと親しく交わった山の中の祈り場で、その日を過ごそうと思っていたからです。私はその場所を忘れることはできませんでした。そこで神さまの多くの御声を聞いたからです。そして、お取り扱いを受けた場所だからです。私はそこをギルガルの丘と名付けていました。霊的に私がこの世から聖別された場所だったからです。

この神戸療養所時代のことを回顧してみると、様々な出来事の中に聖書の真理を私は見い出すことができます。その一つは、聖書と私の出会いでした。私が神さまに出会った時にその聖書は、まるで私と出会うのを待っていたのように私の隣のベッドの枕元に牛乳瓶の敷台となっていました。私が救われるために待ち構えていたとしか思えません。

もし私があの夜、神さまとの不思議な出会いがなければ、たとえそこに聖書があったとしても私は興味を示さなかったでしょう。神さまが備えていてくださったとしか考えられません。まさに、『主の山に備えあり』です。また、神さまとの出会いは私に強い宗教心を起こさせました。それは神さまが私にご自身を捜し求める熱意を与えてくださったからです。そしてあらゆる宗教書から私の神さまを捜そうとしたのです。それらの人の手で作った宗教書の中には私が捜し求めている神さまはおられませんでした。偽物だと分かってしまったのです。

不思議なことですが、この時から私は本物と偽物が直感的に分かってしまうという賜物を内に持つようになりました。それは私が聖書と出会ってから今日に至るまで、じっと聖書を読み続けてきたからだと思うのです。私は本物の神のことばを見つめ続けたから偽物が分かるのだと思いました。聖書が信仰の基準だからです。信仰を測る狂いのない物差しだからです。本物を見続けることが信仰の原則だと私は信じています。神戸療養所は私に一番多く聖書を読ませた場所です。

そういう思い出の多い神戸療養所へ、二年ぶりで訪ねて行きました。私がいた三階の重症部屋に入ってみると、すでに顔見知りは一人もいませんでした。そして私の寝ていた窓際のベッドのそばに行きました。「ここから私の新しい歴史が始まったのだ」と思うと感無量でした。そして私は何げなくベランダ越しに前方を見たのです。「あっ!」と驚きました。そこに山がなくなっていたからです。私が驚いた理由は、次のような想い出があったからです。

それは私がまだ救われていない時、この重症部屋の中で夢中になって聖書を読んでいる時の頃でした。その頃私はまだ頭で聖書を読んでいたので、疑いをいっぱい持っていました。聖書を読んでいると心は燃やされるのですが、頭は盛んに批判していました。私が寝ていたベッドは窓際にあり、この病室は冬でも窓を開放していました。その窓からベランダ越しに向かいの多井畑の山が見えます。私はその景色がいつも不満でした。人間のお尻の形をしていたからです。私は毎日このぶさいくな形のした山を真正面から見せられていたのです。いったんその事が気になり出すと、病人というものは神経質になるものです。私はその景色がとことん気にくわなかったのです。

ある日、ベッドに寝ながらいつものように聖書を読んでいると、私は聖書の中から興味あるみことばを見つけました。「もしあなたが、心で信じて疑わないならば、この山に向かって海に移れと命じるならば移るであろう。」というイエスさまのみことばです。もし私がその時、向かいの山と険悪な仲でなかったら、そのみことばを流し読みしていたことでしょう。しかし私はあの山が非常に気に食わなかったのです。もしそのままいつまでも山がそこにあったら、私のベッドを動かしたかったくらいです。

そういう時、タイミングよくこのみことばは私をとらえました。私はそのみことばを二度ほど読んでしばらく天井を見つめて考えました。「馬鹿な真似はよせ」という気持ちと、聖書が私に与える不思議な力に思いが揺れました。そして、「ひとつ試してみるか。できなかっても、もともとだ」と決心し、目を閉じました。誰かに私の馬鹿げた行為を見られているようで、気恥ずかしい気持ちがしましたが、あわてて、「山よ、海の中へ移れ!」と心の中で命じたのです。そして目を開けて見ました。山は相変わらず大きなお尻を天に向けていました。私は自分のしたことに照れました。そんなことで山が移るはずがないのです。

(つづく)