天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「主は、生きておられる」(17)

H病院での証し(4)

私はその時は人々の顔を見ないようにしていたのですが、私が祈り始めた時に私の目の前で椅子から転げ倒れた人なのでよく覚えております。年齢は三十過ぎの弱々しい身体をした人でした。そのHさんが私を面会室に案内して行き、そこで私に身の上話を語ってくれた時、私は先週の出来事の何もかもが分かったのです。

彼女はこの病院に入院する前に、二カ月間結婚生活をしていたそうです。たった二カ月の新婚生活で結核だと診断されてしまったのです。医師から三カ月ほど入院したら治ると言われて彼女は入院しました。ところが、三カ月たっても半年たっても彼女の病状は良くならないばかりか、悪くなる一方でした。そして三年の月日がたってしまいました。

その時、彼女の夫が離婚の話しを持って来たのです。無理もありません。たった二カ月の新婚生活で夫は三年間待たされたのです。そしてこれから何年待っても治る見込みが彼女にはなかったのです。しかし彼女は必死になって夫に頼んだそうです。あと一年待ってほしいと。それでも駄目だったら離婚届に判を押しますと約束しました。

彼女はその一年間に自分を賭けたのです。自分の身体にメスを入れて手術する決心をしました。それは女性にとって非常に大きな決断のいることでした。しかし彼女にとっては、手術を選ぶか離婚を選ぶか、二つのうちの一つしか選択の余地はなかったのです。彼女が夫のもとに帰るためには手術するのみでした。だが手術の結果、病状は良くなりませんでした。かえって彼女の身体は弱ってしまったのです。そして彼女は悲しみをこらえながら離婚届に判を押しました。彼女は、自分の人生から何もかも希望が奪い取られてしまったような気持ちがしたと語っていました。

そしてもう、これ以上生きていても何の希望もないので、自殺しようと考えたのです。病院で度々睡眠薬を出してもらうと怪しまれるので、外出する人たちに頼んで町の薬局から少しずつ睡眠薬を買いためました。そして致死量の睡眠薬を手に入れた時、その夜に服毒自殺をする決心で、安静時間中に彼女のお母さん宛に遺書を書きました。彼女が遺書を書き終わった時に丁度、安静時間があけるチャイムの音がして、「ただ今から、集会場でS先生のお話がありますから、ご希望の方はお集まりください」というアナウンスが聞こえてきました。

彼女はその案内を聞いた時、死出の想い出に集会に出ようと思ったそうです。彼女は今まで一度も集会に出たことがなかったそうです。ただ、毎朝伝道団体の福音放送だけは何気なく聞いていたそうです。そしてS先生の声はラジオで聞いて知っていました。関西弁丸出しの何とも言えない温かみのある先生の肉声を聞いて死のうと思ったそうです。

弱った身体を引きずるようにして、彼女は集会場にたどり着きました。そしてS先生の一番近くでお話を聞こうとして最前列の席に座ったのです。しかしそこで彼女の最後の期待は裏切られました。せっかくの死出の想い出に無理をして集会に出て来たのに、そこに緊張のために蒼白な顔をした私が立っていたからです。

しかし、私の証しが始まった時に、彼女の死を決意した冷たい心の中に、生きる喜びみたいな神さまの愛が注がれてくるのを彼女は感じ始めたそうです。『あなたは死んではならない。わたしがあなたを愛してあげよう。そして、わたしはあなたを決して捨てない』という、押し迫る神さまの御声を聞いていたのです。

彼女はもう涙が出て止まらなくなり、私の証しなんかは耳に入らなかったそうです。神さまが彼女に語りかけておられたからです。そして私の証しが終わり、祈り始めた時に、彼女はもう神さまの愛の激流に押し流されて座っておれなくなり、その場に身を投げ出したのです。彼女は私に言いました。「もう死にません。神さまがこんな私で愛してくださっていることを知ったからです。」

私は彼女からこの話を聞かされて、心打たれました。私は何という大馬鹿者だったのでしょうか。神さまは、その夜自殺しようとする彼女を助けるために、私のような者を遣わし、その愛の御業を現してくださったのに、私は自分勝手に得意になり、偉大な神の器になることを夢見ていたのです。私はまったく神さまの前にトンチンカンなドン・キホーテだったのです。そして私の高くなりつつあった鼻はみごとに叩き折られてしまいました。そして心から自分の愚かさのお詫びをして、神さまの不思議な愛の御業を崇めました。

その日の集会が終わって、帰りの電車の中で私は思いました。あの一人の死の崖っ淵に立たされた不幸な婦人を救うために、神さまは伝道経験豊かなS先生ではなく、口にガムテープを貼られてうめいているような私を用い、しかも私がもっともしたくなかった救いの証しをするように厳命され、私が死の淵で初めて神さまと出会った時とまったく同じように、彼女に愛の激流を注がれたことを知ったのです。

その夜、神さまの前にほんとに小さくなって座りました。私が偉大な伝道者になったところで、それが神さまにとってどれほどの値打ちがあるでしょうか。むしろ一人の失われて行く魂のために用いられる者としてくださいと祈らされたのです。

「万人の魂が救われるということ、これは私がどんなに頑張ってもできないことです。それがおできになるのは、神さま以外にはないことが教えられました。しかし私が知らないところで神さまが働いておられたことも知ることができました。私の信じている神さまのなさることは、何もかも素晴らしい!」と思いました。

(つづく)