天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「主は、生きておられる」(11)

証人への召命(2)

私はその大失敗の実例を根拠に、神さまに訴えたのです。しかし私がその声を拒絶すればするほど、山の祈り場での神さまとの私の交わりは恵まれなくなり、冷たくなりました。私の魂は塩をかけられた青菜のようになり、神さまを喜ぶ感覚は失われて行ったのです。それでも私は徹底的に反抗して、ふてくされました。私にも断る権利があるはずです。私にできもしないことを強引に押し付けられることは非常に迷惑です。

しかし神さまと私の冷えた関係は私にとっては苦痛でした。まるでエデンの園から追放されたアダムの気持ちです。神さまとの関係をどうにか回復したいと思いました。

そこで私は、発想の転換をしてみたのです。これは持って生まれた私の特技の一つです。行き詰まるといつも私はこの発想の転換をしてみる癖があります。

「神さまは、初めから私のできの悪いことは何もかも、私以上によく知っておられるはずだ。それを承知の上で私に証し人になれと命令しておられる。これはきっと何でもおできになる全能の神さまだから、私にその能力を与え、知恵を与えて、今から訓練してくださるに違いない。自分は今まで自分のできの悪さだけを眺めて証し人に絶対になれないと絶望していたのだ。神さまは、ご自身だけを見つめよと言っておられるのだ。ただ私は黙って従うのみだ。」

そうでも考えなければ私はやりきれなかったのです。そして私は、そのことを神さまにおまかせしますと祈ったのです。

しかし、神さまにおまかせしたものの、私はどうしたらよいのか、分かりませんでした。

「そうだ。三島牧師(注:「お前がオヤジだ」!と言われた人)に相談してみよう」と鷹取教会に行きました。

「先生、私が山の中で祈っていたら、神さまが私に証し人になれと言われるんです。どうしたらよいのでしょうか」というと、三島牧師は、私の顔をしげしげと見ながら、「ふ~ん、忠よ、お前は学校をどこまで出た」と尋ねました。

「はあ、小学校だけです」と答えると、三島牧師は実にさばさばした人で、「そりゃあかんわ、何しろうちの日本基督教団の伝道者になろうと思えば、大学の神学部に入らなあかん。忠さん、それは無理やで」と言われました。

私は恥ずかしさで穴があったら入りたい気持ちでした。少々恥ずかしいことは場数を踏んできて慣れていますが、この時は顔から火が噴出しました。三島牧師がさばさばした人でなかったら、二度と私はこの教会に来る気はしなかったでしょう。

学歴がない私が大学の神学部に入れるはずがないのです。しかし私には、神さまが嫌がる私にそこまで強要なさるのだから、私の行先にはちゃんと受け皿がすでに用意されているに違いないと思うのは当然です。それが見事に肩透かしを喰らい、私は大恥をかいたのです。

私は病院に帰るバスの中でぶつぶつと神さまに文句を言いました。それは丁度、子供が高い所から父親の腕の中に飛び降りた時に、さっと手を引っ込められて地面に叩きつけられたような、悔しさと痛さを覚える情けなさでした。

「神さまは殺生やなあ、こうなることは初めから分かっているのに・・・。」

病院に帰った私はすぐに山の中に入って行きました。そして、ぐっと腹立たしさを抑えて押さえて、天を仰ぎました。

「神さま、私は今大恥をかいてきました。別に私はあなたに怒っておりません。もともと私は誰が見てもそういう人間なんですから・・・。神さま、これでお分かりになったでしょう。私みたいな者が、あなたの証し人となるなんて、どだい無理な話です。私はそんな立派な人間にならなくて結構です。あなたに罪赦された罪びとの身分で満足し、感謝しています。そのこと以外にどんな栄誉があるというのでしょうか。この故に私は生涯をかけてあなたを愛し、あなたに感謝し続けるつもりです。ですから私にそれ以上の者になることを期待させないでください・・・」と祈りました。

その日からまた、山の祈り場で神さまとの楽しい交わりが始まりました。そしてこの祈り場で私の魂は日々強められ、霊的な力がみなぎる思いでした。聖書のみことばが私の魂を燃やし、神さまへの賛美となりました。しかし、数日たった時、またもあの御声が私の心を捕らえたのです。

「あなたは、わたしの証し人にならなければならない。」

私はまた神さまの無理難題が始まったなと、うんざりしました。今度はそれを無視する権利が私にはあります。私は一度そのことで手痛いダメージを受けたのですから。そして恥をかかされても男らしく、神さまに恨みつらみを言わなかったのですから。私はむしろ神さまにそのことで貸しがあるくらいに思っています。

(つづく)