天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「主は、生きておられる」(16)

H病院での証し(3)

その時です!静かな室内に突然ゴーッという凄い音がしたかと思うと、私の目の前の席に座っていた一人の婦人が、急に床の上に倒れ落ちてひれ伏し、泣きながら何かを叫び出したのです。私はびっくりして、祈りながら目を開けて見ました。するとどうでしょう。彼女だけではなく、そこにいた全部の人たちが同じように床にひれ伏して、大声で神さまをほめたたえているのです。私は再び驚きました。そして祈りを続けながら、頭の中で忙しく考えました。「これは一体何だろう・・・。ここに伝道に来られている先生は、こういう集会の指導をされているのだろうか?」

キリスト教の分派には、こういう賑やかな集会があることを知っています。私も一度その集会に出たことがありますが、その場から逃げ出したい気持ちになりました。私の信仰の肌に合わなかったからです。しかし今、私の目の前で起こっている出来事は、それらの賑やかな集会の時のように、霊的な違和感がないのです。

まず第一に、神さまの強い臨在感がありました。私の心は燃えていなかったのに、冷淡すぎるほどの証しであったのに、その部屋いっぱいにご聖霊の充満を感じたのです。

私は気がつきました。このことを起こさせるためにイエスさまは、嫌がる私に救いの体験の証しをせよとお命じになったことを。私は心の中で、「大変なことになったぞ!」と思いました。その後をどうすればよいのか、私には分からなかったのです。しかしイエスさまご自身が、ご栄光を現してくださった限り、私はこの場から一目散に逃げ出すだけだと思いました。

この驚くべき神さまの御業に、さも私が何者かであるように酔いしれてはならないと自らに警告したのです。祈りが終わって、挨拶もそこそこに私は逃げだそうとしました。しかし、そこにいた人たちは、目を輝かせながら私を見つめて、もっと神さまの素晴らしい恵みを聞かせてほしいと私に頼みました。彼らは初めてこの驚くべき体験をしたと口々に語っていました。その彼らを振り切って私は病院を飛び出したのです。

帰りの電車の中で私は考え込みました。私の証しは人々に通用しないと確信を持ってイエスさまにお断りしたのに、その反対の結果が出たのです。まるで神さまに肩透かしをくらったヨナのように複雑な気持ちでした。また、もっと大それた言い方をすれば、使徒行伝時代の出来事が起こったということです。まさか自分自身の目で人の上に降るご聖霊の傾注を見ることができるとは想像もしていなかったことです。それゆえ神さまの御業の前に、私の小さな心は畏れを持ったから逃げ出したのです。

しかし、私はどうしようもない男です。なんという凡人でしょうか。神さまの御業に畏れを抱き自分の栄光を捨てて逃げ出したまではよかったのですが、電車の中でその出来事を何回も何回も思い出していると、少しずつ私の鼻が高くなるのを感じたのです。「ひょっとすると私は、大物の神の器になるかもしれないぞ!・・・」と、そう思った途端に、当時の有名な伝道者の顔と私の顔がダブりました。そして何と気分のよい帰りだったことでしょう。あのしおれきって出て行く時の私の姿と、同一人物とはとても思えないほど、自信のある姿をしていたのです。

その夜、S先生から昨日よりももっとひどい鼻声で電話がかかって来ました。「集会は大成功だったらしいね。先ほどH病院から電話があって、すごく恵まれたといって喜んでいたよ。」「そうですか。別に大した奉仕ではありませんでしたよ。」私はすっかり、へりくだり傲慢な返事をしておりました。すると先生は、「実はね、来週も行ってくれないか。そして少し早めに行って、Hさんという婦人に会ってほしいんだ。君にぜひ聞いてもらいたいことがあるそうだ。」

私は即座にOKしました。なんだか私の前途に光が見えてきたような感じがしました。来週には目を輝かせながら、私の来るのを待っている病院の人たちのことを思うと、その一週間が何と待ち遠しかったことでしょう。このままず~っといつまでもS先生が風邪をひき続けてくれたらと思ったくらいです。

そしてその日が来た時、私は大伝道者になったような気分で京都に出発しました。そして先生の指示どおり、昼休み時間に着いた私は、早速Hさんの病室を訪ねました。私が所属している伝道団体では、独身の男性が女性の求道者に直接会って話をすることは禁じられておりました。S先生が私にそのことを許可されたのは、H婦人がたってのお願いとして私を指名したことと、内緒で会っているのではないので許可されたと思います。

病室に入った私は、ひと目見てその人が先週の集会の時、私の目の前に座っていた婦人であることが分かりました。

(つづく)