天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「主は、生きておられる」(2)

「死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。そのとき、私は主の御名を呼び求めた。主よ。どうか私のいのちを助け出してください。」(詩編116:3~4)

 それはこの世における恐怖感ではなく、死後の世界に私を待ち受けている暗黒の恐怖感です。そして私の深いところで、「死は無ではない!死の彼方に死よりも恐ろしい何かが待っている!」ということを直感したのです。私は声に出ない絶叫をあげました。私の魂は肉体から離れて行こうとする寸前に、死の彼方にある暗黒の恐怖を見てしまったのです。そして迫り来る死の力を反射的に、ない気力を振り絞って押し返しました。しかし押し返されて、死の力はさらに力を増し加えて私に襲いかかって来るのです。

ついに私は最後の気力を使い果たし、死の力が私に勝利しようとした時に、私は天に向かって叫んでしまったのです。「神さま!助けてください。このまま死ぬのは嫌です!一生このベッドの生活でもよいですから、もう一度生かして下さい。そして生きて来て良かったと感謝して死なせてください!」

私はなぜそのように叫んだのか分かりません。神さまがこの世にいることなど信じたこともなかったのです。その私が死を目前にして暗黒の恐怖におののいた時に、「神さま!助けてください!」と叫んでしまったのです。

私がそう叫んだ瞬間、物凄い力が病室の天井を突き破るように、私の弱り果てた身体の中に注ぎ込まれたのです。その不思議な力は連続的に注がれ続けました。そして私に襲いかかっていた暗黒の死の力は、まったく逃げ去っていたのです。

私は驚きのあまりベッドの上に半身を起こしました。私に注がれるその不思議な力は生命に溢れていました。私はベッドから降りてみました。立つことができたのです。歩いてみました。すると歩くこともできたのです。

私は病室を出て廊下を歩き、階段を上がって行きました。まるでその力に導かれるように、私は三階から五階の屋上に出ることができたのです。それは一年間寝たっきりの重症患者の私には信じられないことです。しかも数日前から死を望み、絶食していた身体です。私はベッドに半身起こすことも立つことも、歩くことも不可能な人間でした。そんなことができるなら、簡単な自殺方法がいくらでもあったのです。私の肺も心臓も破れることなく、屋上に立つことができたのです。

屋上には、二月の夜の凍りつくような冷気が、パジャマ姿の私の肌にここちよく感じられました。私は今自分のしている行動があまりにも不思議なので、一瞬死の世界に入ったのだと思いました。腕をつねりました。痛いのです。私は生きていたのです。いや、正確に言うと、生かされていたのです。その生かしてくださった方に会いに行こうとしていたのです。

私は屋上で夜空を仰ぎ見ました。そこには冬の星が澄み切った夜空にチカチカと瞬いていました。その星の彼方からなおも、あの不思議な力が私に注がれていたのです。「これは、なんだろうか」と思いました。そして、この広大な宇宙の彼方に、私の叫びを聞いて助けてくださった神さまがおられると信じたのです。しかしそれが、どの神さまなのか私には分かりません。

私は屋上のコンクリートにひざまずきました。敬虔な気持ちにならざるを得なかったのです。そして夜空の彼方を見上げながら、「神さま、ありがとうございます。私はあなたがどの神さまであるか知りません。しかしきっとあなたを尋ね出して感謝をささげます」。そして私は病室に帰って行ったのです。

(つづく)