天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「主は、生きておられる」(13)

証人への召命(4)

「神さま!なぜあなたは、一度ならず二度までも私を欺かれたのですか!なぜなんですか!何度も言いますがこれは私の願望から出たことではなく、あなたから出たことなんです!私はもう我慢することができません。あなたが信じられないのです!私はこれまであなたに純粋であり続けようとしてきました。しかしあなたはそれを踏みにじられたのです。私があなたに熱心であるのが、どこが気に食わないのですか?もし私がなまっくらな信仰の持ち主だったら、そういう御声をかけられなかったでしょう。私は今日限り、なまっくらな信者になってみせます!もうここへは来ません。そしてこんな聖書なんか二度と読みません!」と言って、私は手に持っていた聖書を足元に思いっきり叩きつけました。

そして私はその場にひっくり返って寝転びました。私の腹わたは煮えくり返っておりました。そして目からは口惜し涙が滝のように流れ出ました。「今日まで私なりに真剣に神さまを愛してきたのに、なぜこんな嫌な苦しみと恥とを受けなければならないのか・・・。」私は神さまに裏切られた者のように泣きました。

夕方の山の中はすぐに陽が落ちて暗くなりました。そして谷間から見る空に星が現れました。私は泣き濡れた目で、その星を見ておりました。星の光は涙で濡れている私の目に、光の糸となって飛び込んできます。その光の糸と共に、あの夜空の彼方から神さまの愛が、悲嘆にくれている私の心に注がれてくるのが分かりました。

私はもう神さまの愛なんかいらないと、そっぽを向きました。しかし夜空はどこを見ても星だらけです。私が星の光の線に添って流れて来る神さまの優しい慰めに満ちた愛を拒めば拒むほど、神さまの愛はさらに強く私の心に注がれてくるのです。

私はそんなことで腹の虫が治まりません。「神さま。もう放っといてください!今さらおだてても駄目です!」

私はまたもや新たな涙が溢れました。自分というできの悪い人間が、どこへ持って行っても通用しない惨めさに、悲しみの涙が流れ出ました。そして悲しみすねている私を慰めようとなさる神さまの愛を肌で感じた時、その二つがごっちゃになって私は「うわ~ん」と大声を出して泣いてしまいました。

やがて私の眼から涙が尽きてしまいました。そして私の心は泣き尽くしたあとのポカンとした空白状態になりました。胸に詰まっていたものが涙と共に全部流れ出たのかもしれません。

その時です!私が寝転んで眺めていた、あの夜空の星の彼方から、何とも言えない厳かな、神さまの御声を聞いたのです。『さあ、そこから自分の足で立ち上がりなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会ったことと、わたしがあなたに現れて示そうとすることを、証しする務めにあなたを任じるためである。』

私は呆然としてその場に立ち上がりました。そして、その御声のする夜空の星の彼方を見つめたのです。そこに神さまが創造された広大な天がありました。その天を見つめている時に、私は非常に強い確信に満たされたのです。「私を神さまの証し人として任じてくださる方は、どこの組織でもない。私を愛し、私の罪のために命を捨ててくださったイエス・キリストの父なる神さまが、御声をもって私を証し人に任命してくださったんだ」と。

私は数日後、聖書を読んでいた時に、その夜、私に語りかけられた御声が使徒行伝26章16節に、そのままそっくり書かれたみことばであることを知り、驚きを感じました。

(つづく)