天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

地鎮祭の謎

昨日面白いものを見ました。こういう話題にあまり「面白い」を連発すると不謹慎ですかね。最近は龍の生態に興味があるのでそればかり気になってしまいますが、「やはりそうか」と思うことがあったので、皆さんにもご報告します。

ここひと月ほどコロナでほとんど出社せず、ずっと在宅勤務をしているのですが、二階で机にへばりついていると、階下の母から「前の土地で地鎮祭やるらしいよ。」と声がかかりました。地鎮祭というものをちゃんと見たことがないので、いそいそと見学のために外に出ました。私の家のすぐ目の前の土地がずっと売りに出されていたのですが、なかなか買い手がつかず、ようやく数日前に売れたのです。

土地には青い簡素なテントがこしらえてあり、ペットボトルに入ったお酒でしょうか?醬油瓶のようなものやら何やら、道具が色々と並べ立てられています。赤紫に金糸模様の入った式服を着た神主さんがいて、家主さん家族、施工会社の社長さんらしき人たちが、皆うやうやしい態度で座っていました。

母と二人、どんなことをするのかと興味津々でながめていると、神主さんの祝詞が始まりました。私は「絶対来る!」と思っていたので、ひたすら上空を見つめていました。

「~の神・・・」「八幡の・・・」「かしこみーかしこみーまおーすー・・・」切れ切れ聞こえてくる声に合わせて、例の山の方から、前に見たことのある異様な雲が、どんどんこちらに向かって近づいて来るのが見えました。そして真上に照り輝いている太陽を囲み始めました。

母に「龍ちゃん来てるよ。」と口から出かかったのですが、心配させるといけないので、その衝動をぐっと堪えました。「地鎮祭って土地清めをすることだよな。穢れや悪い霊を取り払うことを目的にやっているんだよな。」と思いながら見ていたのですが、雲の異様さに反比例して、確かに太陽はキラキラと清浄に照り輝き、その場の空気も澄んだ様子に変わっていくような気がしました。

大きくて長いのが一体、山の方から伸びて太陽を囲んでいる更に巨大な存在が一体、雲を纏った姿で浮かんでいるのが見えました。彼らの子分たちも何匹か参戦しているようです。こんなに間近で見る自然のスペクタクル。やはり祝詞は龍を呼び出すということが証明されました。地鎮祭も意味のないことではないのです。

昔からこんなにはっきりと、人が見て分かる位姿を現していたのでしょうか。やはり次元や霊的システムの何かが変わったのではなかろうかと不思議に思いました。

彼らが仕事をしている間は、その空間を占める雲はピタッと動きを止めていました。これも以前自分の体験したことと同じです。彼らも雲同様、動かずじっとしていました。プラズマクラスターのように、上から良い気を送り、悪い気を浄化しているのでしょうか。やはり彼らの大事な仕事の一つに、大気や土地の浄化ということも含まれるのだなと思いました。

祝詞が終わり、地鎮祭もお開きになりかけた頃、彼らが少しづつ山の方へ後退していく姿が見えました。

「後を引かず、意外とさっぱりしているのだな。」

少し心配していたのですが、下から熱い眼差しで見ていたにも関わらず、こちらには興味がなかったようで、その後の付き纏いもなくほっとしました。

神の子は天使に命令する権威を持つということが、聖書には書かれています。自然界の一部である龍を、本来人間が使役できて当然なのです。祝詞はお願いという形の使役する文言なのだと思いました。

イエス様もガリラヤ湖が大荒れの時に、「黙れ!静まれ!」と言われましたが、彼らのような自然霊に対して命じたのだと分かります。私のよく引用する古神道家の鴨志田恒世さんも、龍に命じて、日照りから一転大雨を降らせたり、雲を起こさせたり、霧を晴らせたりといったことを、よくされていたようです。使役される側を、立場を逆転させて神として扱っては本末転倒です。そのことを日本人は知るべきだと思います。私達の方がむしろ神の子の側なのです。

この地鎮祭を取り仕切っていた神主さんは、きっとその仕事を心を込めてやっているに違いないと思いました。いわゆる「霊線が繫がっている」人なのかもしれません。そうでない人が行えば、何の霊験も生じない意味のない地鎮祭になったかもしれません。

龍達はあらかじめその計画を知っていたのか、もしくは遠くから祝詞を聞きつけて急いで飛んできたのかは分かりませんが、やはり彼らの耳の良さは尋常でないと思いました。

以前京都にいた時、私の住んでいるアパートで行った日ユ同祖論の勉強会の集まりで、神主さん(ノアさんのようになりたいと言っていた!)が迫真の大祓祝詞の奏上と関連する儀式を、30分以上かけて熱演して下さったことがありました。きっとその時自分の部屋の真上では、大きいのやら小さいのやら龍達がウヨウヨと舞っていたに違いありません。