天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

空に話かける実験(3)

 

2ヶ月前位に、「嵐が来る、大雪が嫌だ」と母が言っていたので、

「自然への声かけは通じるよ。『神さまー、今まで勝手にしていましたー、ごめんなさーい』と嵐に向かって叫んだら、暴風雨が引っ込んでいくよ」

ということを言ったら、そんな非現実的なことある訳ないでしょ、みたいに鼻であしらわれました。

4年前、年々豪雪になっていく札幌での雪かきが大変そうな母の姿を見て、雪を少なくして下さいと神様に祈ったところ、札幌が記録史上2番目の少雪となったことがあったのですが、そのことをもう忘れたのかと思いました。それで、

「このことは夢物語じゃなく現実に起きていることなんだ。我々は上からいつも見られているから、普段からの心がけや生活態度が大事なんだ。神様も自然もそれを見ているんだ。」

と怒って返すと、

「じゃあどうぞやって下さい」

と軽い言い合いになりました。霊の世界の仕組みを学んでいるはずの母の応対にムカっときたので、雪のシーズンがやってくる前に、例の丘の上で唯一真の神様に向けて祈って準備したのです。

「神様が天地を支配しておられ、我々の祈りに応えて下さることを不信仰な人々に示して下さり、あなたのご栄光を表して下さいますように」

そして空への毎日の声かけを欠かさないようにしました。

「みんなー、今日もよろしくー」

「毎日よくやってくれてるねー」

「今年はあまり雪を降らせないよう協力してねー」

「通勤時間を外して雪を降らせてくれて助かるわー」

「今日はいい天気だねー、ありがとーう」

「手稲の親分によろしくー」

などと、空の存在に向かって心の中で日常的に声かけをしてみました。

神様が下される自然災害を個別に乗り切りたいと思っており、それが本当に通用するのかどうか、自分は札幌の担当のつもりで空の存在に話しかけて実験してみているのです。

そういう訳で、今シーズンはずっと雪の降り方に注意をしていたのですが、今年は何だか雪が少ないぞ、これはいい傾向だと思っていたのです。

先日、何気なくニュースを見ていたら、美唄(びばい)で岩見沢(いわみざわ・豪雪で有名)の3倍雪が降ったということをやっていました。ここには友人が住んでいて、今年は雪が多く、止んでもまた降りを繰り返している、と言っていたのです。

数週間、雨雲レーダーを注意して見ていたら、確かに札幌以北に雪雲が不自然なほど長時間停滞しているように見えました。また、日本海から来る雲の流れ方を見ていると、札幌の辺りをよけて北と南に二手に分かれ、雲が流れていく様子を確認することができました。こういう風の流れ方の年は、札幌で雪が少なくなり、その代わり北の方で多くなるパターンです。これを見て美唄にいる友人には悪いですが、「よし!」と思いました。

今日もニュースを見ていたら、札幌の遥か北、留萌(るもい)とか稚内(わっかない)という所で、いつもの3倍の豪雪になっていると言っていました。それに比べ我が札幌は、幹線道路に雪が無く、アスファルトが剥き出しになっている状態です。これは雪の降る量がかなり少なくなっていることの表れです。

今年は冬の入り口までずっと気温が高かったこともあり、少雪になる要素が他にもあるので、実際神様への祈りがよかったのか、空への声かけが効いているのか正確には分かりません。しかし北海道の他の地域で大雪になっている所もあるので、気温の高さは理由としては外れるかと思います。

先々週の土曜日、用事を足すため、自転車で街へ出ようと家を出たところ、ちょうどそのタイミングで雨がドザーと降ってきました。「何で今降らすかな」と思いながら、「横なぐりじゃなく垂直に降っている。あまり濡れないからまあいいか」と、傘を差しながら自転車を漕ぎ進めました。

街の中心部に到着すると、ゲリラ豪雨も同時に止み、札幌の中心部のメインストリートに大きな水たまりができているのを見ました。車がそこを通る時、ドバーと水しぶきを上げて行くほどの降雨量でした。不思議なことに雨が止んだ後、真冬だというのに暖かい風が吹いてきました。

「低気圧と高気圧、気温と彼らの関係は一体どうなっているのだろう」

昨日の昼頃、空を見上げていた時に、雲がいつもと違って電流を発しているように見え(これをHARRPの仕業だと言っている人がいる)、何匹か集まって何かしているように見えたことを思い出しました。この時下から「おーい、何やってるんだーい」と声掛けしていたのです。

それを思い出して、「やはり彼らは大きく空模様を動かす前に、事前に打ち合わせしているのだ。」と思いました。そしてゲリラ豪雨に対し、こうも思ったのです。

「彼らは人間をびっくりさせるためにこれをやっているな。」

今は終わりの日で、現在集中的に神様が人間に対し、天変地異を通して警告を与えておられますが、もっと神と自然を畏れるように人の心を仕向けていることが分かります。

ホセア書21:21に、

「私は天に応え、天は地に応える」

と書いてあります。この言葉を読むと、天と地それぞれの存在が、神の大号令に呼応して、神様の意思を発動させているのが分かります。まさに今、はっきりとそれを見ている訳ですが、任せられた分の中で、彼らは結構遊んでいるなと思いました。

このように雲を観察する中で、空にいる存在が気象変動にかなりの部分を担っていることが分かったので、天変地異に対する恐れがすっかり無くなってしまいました。彼らと心を通じ合わせれば、怒れる自然もなだまるということが分かったからです。(これはとりも直さず怒れる神様と人間の関係にも当てはまる)

なぜか消えてしまったこのシリーズの(2)の記事で、庭先で拾ったスズメのヒナを育てていたのが死んで、丘の上で大泣きした時に、空の存在が雲を虹色にしてくれたり、スズメの形の雲を見せたりしてくれて、なぐさめてくれたことを書きました。

このことから改めて、彼らは人情を理解してくれる存在だということが分かりました。昔の人は荒ぶる自然をなだめるために、若い娘や子どもを人身御供にしたりしましたが、本来そんな必要は全くないのです。

ところで今年の9月、日本海沿岸の村で港祭りがあって、仕事でそこを訪問したのですが、ちょうど神道式の収穫感謝祭をやっていました。神主さんが祝詞を奏上している間、上空をじっと見ていたら、太陽を背にして雲がどこからともなく一塊りになり、形を変えながら光を放ち始めるのを見ました。

「やはりこの地域の有力者が祝詞に合わせてやって来たな」

きっとこの存在が、収穫物に向かって感謝している人間達の姿を見て、

「よしよし、ちゃんと感謝しておるな」

と思っていたに違いありません。神に感謝、自然に感謝、といった基本的な人間の態度によって、彼らの我々に対する扱い方も違ってくるのだと思います。

母には今の時点で何も言っていませんが、来年の春には雪の降り方がどうだったか最終的に総括できるはずです。それまでは空への声かけに励んでみようと思います。