天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

祈りって何だ

眠れないのでこれを書いています。

緊急事態宣言が発令されてこの方、運動不足にならぬよう、夜のウォーキングを習慣化しています。

歩きながらある人のことを祈っているのですが、その人の問題を分析しているうちに、きっとこれは日本特有の悪しき制度から発する問題でもあるに違いないという結論に達し、サタンのせいだとか言ってポンポン大怒りしながら、神様にこのことを訴えていました。

毎日一万歩以上歩くことを課しているので、今日も街を大きくぐるりと一周しました。そろそろ家が近づいてきたと思いつつ上空を見上げたら、蛇腹雲が自分の斜め上の空にポンと幅広く出ていました。よく晴れた夜で、ぐるりと見回しても他に雲は見当たりません。上から見られている感満載です。もしかしたらずっとつけられていたのかもしれません。「こやつまた人の祈りを聞きつけてやってきたな‥‥」と思いました。

昨年R騒動が起きた時、真剣に祈る度に、長細いやつが飛んで来るのをこの目ではっきりと見てからというもの、怖くて力を込めて祈れなくなっていました。

いや、正確に言うと、R事件のせいですっかり怖気付いたのがかえって功を奏し、更に激しく姉の魂の奪還について祈ったことがありました。そのせいなのか分かりませんが、姉が家で細々とやっている家庭礼拝に参加するようになり、今も喜んで来ています。雨降って地固まるというのはこのことか。

唯一まことの神様、イエス様のことは信用しているのですが、自分のことをあまり信用していないので、果たしてこんな不従順かつ穢れ者の祈りが第三の天に届くのかと思ってしまうわけです。第一あらたまって祈りという形を取らなくても、神様は我々の問題を既にご存知なんだし、何故祈りが必要なんだ?何故祈る?という気持ちもあります。

神様は地上でイエス・キリストの名による訴えがあれば、それに裁きをつけるという厳正なる法則を定めておられ、人間側の要求があったからそれに答えるという大義名分があるのでしょうか。

自分は預言者でも何でもないし、聖霊のバプテスマを受けてもいないので、祈りが湯水のように湧いて来る訳でもなく、自分の心が苦しむ時、もやもやする時、激しい嫌悪感にかられた時など、神様にその時々の気持ちをぶつけるだけなのです。

この祈り方は正解なのか、祈りの内容は適切なのか、第一人のために祈るっていったって、自分だって同じ性質を持っているし、同じ罪を犯すだろうとか、そんなごちゃごちゃした思いもよぎりますが、全てぶっちぎって神様に訴える訳です。

祈りは神様の御心に自分の心を合わせることといいますが、ただ単に自分の気持ちをぶつけているだけであって、そんな高尚な態度からはほど遠いよなあと思います。

その前の日にもポンポン怒りながらサタンが!とか言って神様に訴えていました。その夜のこと。眠りに落ちかけた半覚醒状態の時、頭の後ろからウォウォというはっきりとした唸り声のようなものが聞こえてきました。バチン!といきなり目が覚め、心臓がバクバクと鳴り始めました。

「今のは一体何だったんだ‥‥。」

去年にも、やはり半覚醒状態の時にヴーッという唸り声のようなものを聞いており、Rが近くまで来ているのかと震え上がったことがあったのです。

身分不相応な祈りがそうさせているのか、もし彼らに殺されたら寿命が尽きたと諦めるしかないが、それ以上身辺に奇妙なことも起きず、こうして普通に生きているので、きっと大した害のない奴だと思われていることでしょう。

このようなだらだらした話にここまでお付き合い下さりありがとうございました。