天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

縄文文化と龍(1)

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龍ばなしが続きます。

現在ゴールデンウィークを利用してH市に来ています。教会の写真を撮りたいと思って来たのですが、工事中だったり、内部の撮影は禁止だっりで、全く撮れないことが判明しました。何のために来たんだか‥‥。しかし驚くべき発見があり、こちらの方で来た甲斐がありました。

昨年この街を訪問した時、朝起きたら上空に龍が沢山たむろしているのが見え(うっすらとした雲様の姿で見える)、何故こんなにいるのか、何をしているのか?と思ったのです。今はもう慣れたので、彼らが上空にいても怖くなくなったのですが、当時は龍といえば悪の存在という認識が強く、「自分がここにいるのがバレたのか?!」とビクビクし、自意識過剰になっていました。

他の場所にも同じようにたむろしているのが見えていたので、この時期だからそうなのか、昔からそうだったのか、不思議に思っていました。ですが今回来てみて、あまりにも彼らの個体数の多さに、「ああ、きっとこの場所だから多いのだ。」と納得しました。ここは東北に近い海浜の街なのです。縄文遺跡があちこちにあることなどからも、ここがかなり早くに開けた場所であることが想像されました。海にも山にも近いという土地柄と、太古からの歴史とが絡んで、彼らが多く棲む要因となっているのでしょう。

自分の認識では、龍というのは自然を司る霊的存在の、恐らく最高位にいると考えられ、クリスチャンがよく考えるような、龍即悪魔という図式は早計だと思います。霊的存在が皆悪いわけではなく、程度の問題で、宇宙人にも善いものから悪いものがいるように(?)、龍にも善い性質のものから最悪のサタンのようなものまでいるわけです。

自分が空を見て認識できるようになったのは、主に風や雨や雷などをもって、天気をコントロールしている存在だと思われます。彼らも知性がそれなりにあり、感度が滅茶苦茶高いので、テレパシー(心の声)が通じ、こちらが考えていることも分かるようです。

今日の夕方には、街のシンボルである山にかかるようにして、大きく休んでいる龍の姿が確認できました。自分の住んでいる街で見た、山を大きく遊泳していた龍の姿と同じだと思いました。彼の部下と思われる、ウナギ雲のような姿の小さめの龍も、周辺に沢山休んでいるのが見えました。

「龍も休むんだな(笑)」

昨日は車で連れて行ってもらった、縄文遺跡埋蔵文化センターの上空で、まるでこちらを歓迎するかのような、ハート型らしき雲と、例のモンスタードリンクのロゴの頭部の部分だけのような、白い龍雲を見ました。こういうものを見せて、自分達の方に気を引こうとしているのでしょうか。

その後遺跡公園に行ったのですが、その時も雲と霧をまとった存在が、空に大きく動いているのが見て取れました。これを見て、実は龍は縄文文化と関係があるんじゃないのか?と思えてきました。すると、同じことを考えている人の記事を見つけました。https://www.tokaiedu.co.jp/kamome/contents.php?i=122

神武天皇が龍(海神)と人間のハーフで、応神天皇も尻尾があったというし、縄文時代にも龍と人間の交配が度々行われたのではないかと想像します。上の記事の方は、私が以前心配していた、新天皇の大嘗祭に際して行われる真床襲衾(まどこおふすま)は、龍神と人間の女性との婚姻により、天皇を生む儀式だと言っておられます。やはり日ユ同祖論者が言っている、天皇が聖霊を受けて生まれ変わる儀式なんてもんじゃないです。むしろ堕天使が人間の女と交わった故事に近いです。

古代天皇のような龍と人間のハーフの魂は、死後何処に行くのだろうと思いますが、それ相当の場所に行き、このような存在が諸々の龍を束ね、その地域の責任者として統治するようになるのかと想像します。

遭遇事件から時間が経って、大分冷静に見たり考えたりできるようになりましたが、やはり彼らは力ある存在なので、線引きはしっかりしていかなくてはと肝に命じています。しかし、その存在から凶悪な印象とは真逆の、親しみやおかしみを感じることも多く、遥か昔、人間と龍は互いに仲良く暮らしていたんじゃないのか、かつての縄文人もこのような親しみから、彼らを必要以上に人間の中に受け入れてしまったのではないかと考えます。

キリスト教ではサタン、ルシファーは変身能力があるといいます。堕天使は皆そうです。日本の昔話や古事記などには龍や蛇が人間に化けて懸想している人間に近づく話しが出ています。堕天使は人の子が美しいのを見て、地上に降りて娶ったとあります。両者の関係は似ていますね。