よく「霊感」があるといいますが、教会の中のある人達が「イエス様にこう言われた」とか
「あの人に話しかけろと言われた」とか、変なのでは「歌がさだまさしの声で聞こえてきた」
とか言っているのを聞いたことがあります。
この手の「自分以外の声を自分の内側で聞く」という現象は、注意が必要なことだと思います。
声の主は、神様からのものではなく、別の霊から来ているかもしれないからです。
私が以前通っていた教会のクリスチャン達は、無分別にこれらを神様からの声だとして
受け取っているように思いました。
こう言っているクリスチャンを見て、私は「チャネリング」ということを思い出しました。
チャネリングというものが、一体どういう状況を指すのか詳しく調べたことはありませんが、
ニューエイジやスピリチュアルについて書かれた本を開くと、自分以外の存在からメッセージを
受け取ることについて書かれているのに気づきます。
ある人はまさしく神様に「チャンネルを合わせる」という表現をしていました。
何故こういうことに疑問を持ったのかというと、そう言っているその人自身の普段の行動や発言を
観察してみると「?」と思うことが少なからずあったからです。
そう言っている人達はなぜか活動的で、教会の中で目立った存在であることが多かったです。
しかし、目立たなくても地道に神様の御言葉を守ろうとしている人の方が、よっぽど好感を持てる
なあと秘かに思っていました。(本音が出ました、すみません。)
神様からの声を聞いたとか、ビジョンを見せられたとか、聖霊派の教会にいたときはそんな話を
よく聞かされました。そのときの記憶はかなり薄れてきているのですが、すっかりその体験談が
染み付いてしまって、当時は「自分はどうして神様の声を聞けないんだろう」
「ビジョンが見れないんだろう」「不信仰だからなんだろうな」という思考回路になって
しまっていました。
またある牧師先生は気軽に(?)「神様からこう示されました。だからこうします。」
みたいなことをよく仰っていました。
私はこの言葉が嫌いでした。疑い深い私は本当にそうなんだろうか?と思いました。
そんなに神様は簡単にお語りになったり示されたりするのかと思いました。
新興宗教の開祖達が、自分の見たもの聞いたものが、神様からのお達しだと信じてやまないように、
そういう人達も自分達は神の声を聞いている!との驚きや喜びがあったのかもしれません。
つづく