天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

問題勃発!

今日職場でショッキングなことがありました。

私の職場で新しく始まったプロジェクトで、

8月からボランティア先生として中心になって動いてくれていた人が、

「間違いを指摘され心が折れたからもう辞める。」

と言ってきたのです。

最初電話を受けたのですが、同様にメールも送られていて、

「あなたが代わりにやって下さい。」

「私がこのまま続けるのは危険です。」

「次回はもう出ません。」

と書いてありました。

彼によると、直接のきっかけは私の彼に対する失言ということでした。

始まってまだたったの1ヶ月半です。

向う半年のスケジュールまで、既に決まっている中での発言でした。

その方が上司と一緒に話している時に、私が打ち解けた感じで、

「先生間違えて子供達に『間違えてるよー』と突っ込まれていましたよね。」

と冗談半分に言ったことが、彼のプライドをえらく傷つけたらしいのです。

(彼はクリスチャンです)

彼を説得するために、

「あの時ああいう風に自分が言ったのは、子供達が先生に対して

本音を言えるまで、互いの距離が縮まったのだと感じたからで、

温かい雰囲気になってきてよかったなあと思ったからだった。

もし誤解させてしまったのなら申し訳ありません。」

と心を絞り出して自分の気持ちを伝え、

どうにか続けてくれるようにとお願いしました。

しかし、やはり頑なに

「もう心が折れてしまったんです。」

とマイナス発言を繰り返されるだけでした。

話を聞いていると、どうも被害妄想も入っているようで、

この人なんか普通じゃないと思い始めました。

もしかしたら鬱病認知症になりかけているのか・・・?

私が彼に対して冗談を言っている時、上司も一緒に聞いていたのですが、

「○○さんその時ずっとニコニコしていたけどなあ・・・?」

と言っていました。

この土地の人間は、表面はにこにこして謙遜そうに振る舞っていても、

内側には非常に高いプライドが渦を巻いている、

というのは本当だと思いました。

聖書にプライドを捨てろと書いてある(?)ではないか、

彼はクリスチャンだけれども、これを実践していないのか、

いつもそうやって生きているなら、こんな小娘が言ったしょうもない

発言など、へのカッパではないか、と思ってしまいました。

プライドをかなぐり捨てて生きさせられている、

野生児のような自分とは、生き方が大きく異なると思いました。

一瞬衝撃を受けたけれど、もしそうなったらその穴を埋めるために

「自分がやればいいや」と腹をくくったら、大した問題ではないと

思えてきました。昔だったら自分より大人の人を目の前にして、

こんなこと言われたら、ペシャーとしてしおれてしまったのですが。

この方はやり方が少しずるくて、ボランティアなんだから辞めることを

強制的に縛ることはできないはずだと言ってきました。

下っ端の自分と電話で話しただけで、

このプロジェクトから逃げようとされていました。

こんなまだ始まったばかりなのに、責任放棄じゃないか、

と腹立たしく思いました。

「辞めたいと仰るのなら、責任者と面談してから・・・」

と切り出すと、なんだかんだと難癖や理由をつけて、

なかなか会うと言わないのです。

いい大人の男がこんな一回の人の過失で辞めるとは、

あまりにも子どもじみている、しかも彼は信仰者じゃないかと

思ってしまいました。

しかしこの一件にはある伏線がありました。

「彼はクリスチャンだけれども光を宿していない。」

と常々感じており、デリック・プリンスじゃないけれど、

その暗さがひっかかっていたのです。

また、声に皮肉さが宿っているということも、

ずっと気になっていました。

何かを聞いた時の反応が鈍く、ニヒルな感じで返してくるなあと思っていました。

心の内側で、独自の変換作業を行っているのだろうと思われました。

彼の悪い所ばかりを書いているようですが、

とてもいい面もあって、責任感があり真面目なこと、やさしくて

話をちゃんと聞いてくれ、女の私でも自分の言葉をかぶせず

最後まで話をさせてくれるという、素晴らしい面も持っておられるのです。

障害を持つ方への思いやりも、普通の人以上に見られました。

彼にボランティアを頼んだのも、彼がクリスチャンであること、

子どもにも優しく接してくれるだろうと、見込んだことからだったのです。

もう一つ気になることがあって、彼が以前

「自分はインターネットのある掲示板のフォーラムに参加している。」

と言っていたのを思い出しました。

そこでキリスト教や教会についての意見交換をしている、とのことでした。

もしかしたら、何かそこでマイナス発言を聞いたり、

書いたりしていなかっただろうか?と思いました。

何故かというと、特にクリスチャンがそういうことをやっていると、

神様からの裁きが強く下るということを、自分で証明済み(?!)だからです。

なんでこんなことを書いているのかというと、実は先ほど、

キリスト教信仰を持っていた人達が、寄り集まって教会の実態の

ことを告白している、そのようなものを暇つぶしにボーと読み流していたのですが、

だんだんムカムカしてきて、人の足を引き摺り降ろすような、

汚いものを投げつけられているような、いや~なものを感じたのです。

その掲示板の中心人物は、教会によって自分の人生を狂わされたといって、

棄教することを周りにさかんに薦めていました。

まっとうな意見を言ってくれていても、ことごとくいちゃもんをつけて、

自分は正しいとばかりに、反論することを楽しんでいるかのようでした。

確かに教会には偽善がはびこっているかもしれませんが、

人間の内にある悪いものが悪いのであって、神様は悪くないです。

心の自由を縛る曲がった教えが悪いのであって、神様の教えはむしろ人を生かします。

キリスト教信仰の良いものを見ず、全てが悪いことにされているのです。

このようなネット上の集まりには、批判することを楽しんでいるような

悪い霊的な作用もあるのではないかと思うからです。

・・・と、話がそれてしまいましたが、今回の彼の件にも、

もしかしたらこのような良くないスピリットの影響が、

陰にあったのではないかと想像したわけです。

何でも霊のせいにしてはいけませんが、今まで頑張ってボランティア

として働いてくれていた彼の極端な豹変ぶりは、あまりにも奇妙に思われ、

家に帰ってきてから神様にそのことを報告しました。

でも実は、この問題には更なる伏線があったのです。

それは本日の自分の悪い行いでした。

もう一度整理すると、彼は今日お客さんとして私の職場の喫茶店

来ていて、そこで私が彼に例の冗談を言って、その横でそれを上司が聞いており

その直後彼が私の携帯に「もう辞める」というネガティブ発言の

メールを送ってきた、という図式がありました。

ちょうどそのやり取りがあった直前に、

「こんなことをするのはよくない」

と内心強く思いながら、自分の上司に対する激しい批判の思いを止められず、

陰で同僚に批判の言葉を繰り返し吐いていたのです。

巡り巡って、今回の問題勃発の原因は、結局自分の悪い行い(気?)が

何らかの形で繊細な彼に作用し、負のトリガーを引かせてしまった、

ということに落着くような気がします。

偽教師の記事を書いておきながら、自分こそ偽善者である・・・

心の思いと言葉を制するという修行、まだまだ全然足りません。