天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

神様からの声?2

それまではあまり霊を見分けることについて必要を感じなかったのですが、教会に対する
悪霊の働きを具体的に知ってからは、見分けが必要だということを実感するようになりました。
教会の内部でよく言われる「神様の声」というものにも注意が必要だと思いました。

実は私自身は御声を音声によって自分の内で聞いたという体験はないので、そんなものなの
かなあという域を出ないのですが、神様の御声は細く、聞こえるか聞こえないかのかすかな
ものだと聞いたことがあります。

その声はある人が例えて、スプーンが小さくカチャンと落ちてもその音が聞こえる位の、
しーんとした部屋の中で、やっと聞き取れる程の小さく語られる声だと言っていました。
讃美歌の中に「細き御声」という歌詞があるのを思い出します。

ただ、サウロが改心したときみたいに、イエス様が「なぜ私を迫害するのか」と他の人にも
分かるくらいの声で語られることもあると思いますが…

ある本を読んでいて、「我は豊臣秀吉の霊である」とか有名な歴史上の人物の名を借りて
宣言してくるものや、仰々しく登場してくるものに限って、低級の霊だということが
書かれていました。(興味深いことに、他宗教でも異言現象はあるらしく、意味の成さない
ことを喋っている場合も、やはり低級霊が憑いた仕業だということが書かれていました。)

またスピリチュアル関係の話しを聞くと、目に見えない存在が、受信者に対してもっとも
らしいことを語っていることが分かります。
受け取る側は、善霊と悪霊とがいることを事実として知っておかないと、悪霊が語る言葉まで
真理の言葉として受け取ってしまう恐れがあります。

特に日本の状況は、現在スピリチュアルカウンセラーと言われる江原氏の例もあるように、
霊が語ることであれば何でもありがたく受け取っている感じなので、どうしたものかと思います。

豊臣秀吉の場合のような、明らかに低レベルの内容ならば惑わされることはないかもしれませんが、
かなり巧妙に聖書の言葉に似せた発言もあり、クリスチャンでさえ神様の御言葉をよくたくわえて
武装しておかないと、ぐらっと揺るがされるかもしれないと思う内容のものもあります。
(イエス様がサタンに試みられたときの話しを思い出します)

人間は完璧な存在ではないので、分からないところはいっぱいありますし、間違うことも
たくさんあるので、神様に守っていただいて、導いて頂くしかないのかなあと思います。

神様がお語りになるときは、音声だけでなく、他の方法によっても語られるといいます。

神様が「聖書の御言葉を通して語られる」ということはよく聞くことです。
聖書には、状況によって聖霊がことごとく適切な御言葉を思い出させてくださるとあります。
信者さん達は祈りの中で聖書の箇所が与えられ、それを答えとして受け取ったということを
よく証しされます。

また周りの人の口を通して自分に語られることも聞きます。
伝道師や牧師先生が語ってくださったり、信者さんが証しをされるときには聖霊が働かれるのを
感じることがあります。そういうときには心が熱くなったり、目が開かれる思いがしたり、
知らず知らず涙が出てきたり、悔い改めに導かれたりすることがあります。

そのように神様がお語りになるときは、きっと聖書に書かれている御言葉から大きく外れることは
ないのではないでしょうか。