人生で最悪のクリスチャンの集会に出席したことがあります。
今から10年程前の1997年の冬に、
アルゼンチンのリバイバリストと称されるアナコンディア氏の集会に参加した
ときのことです。
「悪霊の追い出し」と銘打たれたその集会では、氏が怒号をもって次々と
悪霊を追い出していくのですが、その姿はすさまじいものがあり
会場は非常な熱気に包まれていました。
実は集会の間中、自分の頭の中では最大級の警報音がカンカン鳴り響いていました。
「いや~な感じ」がずっと胸のあたりにあり、本音を言えば、
その場からすぐにでも逃げ出したい気分でした。
でもその時の私はかなりひねりがきいていました。
聖霊派の教会にずっと通っていましたので、
「聖霊の働きに逆らうこと」はサタンの仕業だと教え込まれていたのです。
ですので自分の頭の中では、こんなにも反発心を感じているということは
聖霊に逆らっている証拠だから、こんな態度は良くないことだと言い聞かせて、
信仰的な自分を装っていました。
人は他人だけでなく、自分の魂に対しても嘘がつける存在ですね。
しかし、「聖霊の働き」が悪霊の働きだったら一体どうするのでしょうか。
これは悪霊の働きさえ聖霊の働きにしてしまえる狡猾な教えです。
自分の自然な判断力は警報を鳴らしてくれているのに、それを封じ込める
作業を自ら行っていたのです。
教会や宗教にどっぷり浸かってしまうと、冷静な判断力が損なわれてしまう
ということは常々感じてきました。
社会生活をしていく中で、教会とは関係のない一般の人の方が、
よっぽど的確な判断を下せると思うことが多々あります。
集会の最後に、一人一人ステージに出てきて、アナコンディア氏から
直接祝福を受ける時間になりました。
氏によって軽く額を押された人達は、次々と後ろにのけぞって
バタバタと倒れ、それを支える役目の人達にキャッチされていきました。
信仰深いふりをしていましたので、他の人と同じ様に素直に祝福を
受けなければと前に進み出ました。
アナコンディア氏と向かいあった時、彼は私の額のあたりにふーっと息を
吹き掛けてきました…
先日読んだテオドール・イリオンの「チベット永遠の書」に
聖同胞団に入る決意は固まったかとイリオンが「光りの王子」マニ・リンポチェに
訊ねられる場面があります。
「彼はわたしの顔に強く息を吹きかけてきた。
『妖術師め。ついに本性を現したな』とわたしは心の中で呟いた。」
「人の顔に息を吹きかけるという行為は、人間に生まれた悪魔やその使いたち
に特徴的なものである。彼らは、この行為によって相手をとらえ、次にくる
自由意志を奪う魔法を行うための足掛かりを作ろうとするのだ」
まさにこの場面が、10年前のあの時の状況と重なりました。
アナコンディア氏は多くの偽使徒の中の一人だと今は疑いません。
↓
http://www.geocities.com/Petsburgh/Park/7291/toron.html
サタンは「悪霊追い出し」や「ヒーリング」というキーワードを餌にして
人々を引き寄せようと躍起になっています。
自己暗示だという人もいると思いますが、実際癒しも起こると思います。
キリスト教のこうしたブームと、一般の人達のスピリチュアルブームや
ニューエイジ運動は何ら変わりがありません。
イエス様の御名と、流して下さった血潮には悪霊を追い払う力があると信じます。
深い信仰のもとに悪霊に対して権威を宣言するとき、悪霊は立ち去ると
思います。しかし、いたずらにその力を行使してはいけないと思います。
私の知人に教会の中で誰よりも熱心なクリスチャンの婦人がいました。
信仰歴も長く、毎朝教会での祈りを欠かしたことのない人でした。
私もよく声を掛けてもらったり、家に呼ばれたりして励まされてきました。
ところが、初めてあった頃よりも、最近彼女の目つきが悪くなってきたなー、
何かぞっとするものを感じるなと思っていたら、悪霊追い出しのミニストリーに
関わっているとのことでした。
不思議なもので、彼女の誠実さは残されたままなのに、
悪いものが彼女の隙間に入り込んでいる感じがしました。
この時悪霊追い出しのミニストリーは非常に危険な両刃の剣だと思いました。
彼女に昔、自分の体験したことや、偽使徒が教会に入り込んでいること、
リバイバル運動には罠があることなどを警告していたのですが、
あまり自分と関係があるとは思ってくれなかったようです。
教会をあげてのリバイバル運動にも引き続き傾倒していました。
私の場合は偽善的な信仰心よりも、強烈な嫌悪感が勝っていたので、
サタンの侵入を阻んだのだと思います。
でも人がどうのというよりも、嫌悪感を感じるものの前に自ら偽って進んで
行くとは、自分もどこまで行ってもどうしようもない存在だなあと思います。
当時の私の複雑な心理は、似た教えを受けている他の人にも共感できるものでは
ないでしょうか。