天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

教会をたずねて三千里

私は「教会ジプシー」と呼ばれる人達の一人でした。
もっとも、その時はそんな言葉も知らずにいたのですが。

結局8箇所くらい訪ね歩いたでしょうか。
いい加減そんな自分に嫌気がさしていたのですが、どこに行っても
「ここは違う。ここには招かれていない。」と感じていました。

ある牧師からは、そういう気持ちを「教会を自分に合わせようとする
傲慢な態度だ」とも言われました。その通りなのかもしれませんが、
自分の正直な気持ちはどうすることもできません。

もちろん訪ね歩いた教会の中には、真心を持ったクリスチャンも沢山いました。
今でもその人達のことは尊敬しています。
しかし、教会全体を見回してみると、やはり何か違和感を感じずには
いられませんでした。社会でもまれてくたくたになって教会に帰ってくるのに、
日曜ごとに派手に演出された礼拝やらイベントやらで、よけい疲れを感じていました。

私が行った教会の中には、リベラル派だとかいう牧師達がいて、何かお説教が
回りくどく、なかなか結論が見えてこないなあと不思議に思っていたら、
天国も地獄もないと言い出す始末のところもありました。
この世が天国でもあり地獄でもあるというのです。
ある意味当たっているのかもしれませんが、神様からの霊感を受けておらず、
人間の手で無理矢理作った意味のない説教だと思いました。

また、ある教会では私が最初に行っていた聖霊派の教会よりも
さらにクレイジーな雰囲気の所もありました。
そんなまっただ中にいて、自分の気持ちは冷めていくばかりでした。
踊ったり、主よ主よと叫んだりしなければ信仰ではないのかと思ってしまいました。

また別の教会では完全にはぶきにされました。そこの教会では唯一
牧師婦人だけが、人間らしいまともな接し方をしてくれました。
シャイな日本人らしい態度と言えばそれまでかもしれませんが、
新参者に対してあまりにも冷淡な態度に、牧師先生と信者に怒りさえ感じました。
もっとも自分が人を寄せつけない雰囲気を大いに放っていたとも考えられますが(笑)。

今私が教えを受けている集まりは、非常にシンプルな形態のところです。
いわゆる教会という建物を持たない、無教会主義とでも分類されるのでしょう。
派手さとはかけ離れた雰囲気のところで、献金や洗礼や奉仕、その他何でも
自発的な態度にまかされています。
中には人の信仰態度を強制するのが好きな人もいますけれど(笑)。

実は、ここは私が行った事のある教会の内で2番目の教会でした。
幼少の頃から親に連れられて通っていた、聖霊派の教会の次に導かれたところでした。
それは15歳~16歳の時のことだったと思います。
初めて入った宣教師の部屋の清浄で平安な空気と、
質素で清潔な暮らしぶりが非常に印象に残りました。
ここにいれば安心だとすぐに分かりましたが、しかしここに安住しては
ならないとも同時に思いました。

何故なら、そこは当時私が入りたいと願っていた「修道院」のイメージと
うり二つだったからです。
親に修道院に入ることは社会からの逃避だと言われていましたので、
こんな楽で安心な所に自分の身を置いてはならないと思ったのです。

それから私の教会めぐりが始まりました。
そしてあちこち巡ってみて、礼拝の形式、イベント、奉仕、教会という建物を新築する計画、
献金の強制、人間寄りの教え等々にすっかり嫌気がさしてしまいました。

しかしあれから十数年たって、初期に自分が招かれたところに再び
戻ってくるとは思いもよりませんでした。

最後に所属していた教会を出るきっかけとなったのは、牧師が新しい土地を
購入し、大規模な保養施設、集会所、クリスチャンによるエンターテイメント集団
などをつくろうと画策し始めたことでした。資金も莫大にかかることが予想され、
計画的に事を進めるため、それまで自発的に任されていた献金も月定献金とされ、
献金の袋が各自の週報ボックスに入れられました。

神様が本当に求めておられるのは非常に単純な道なのだと思います。
それを複雑にしようとするのは、人間や悪魔側の方法なのだと思います。

今では色んな教会を見てきたことが自分のためになっていることを
強く感じます。私にとって、色んな教会を見て比較できたことは非常に
良かったことでした。
私達がする体験は良いことも悪いことも含めて、すべて自分の益と
なっていることと信じます。

ですから、今私と同じような経験をされている方は、きっと自分が導かれている
正しい教会や導き手に出会うときがやってくると思います。
そこでは不安や疑いを感じることは何もありません。

もちろん教会を形成しているのは人間ですから、間違いも起こすしサタンの誘惑に
かかってしまうこともあるかと思います。
しかし、羊達は正しい霊を受けた使徒に、正しく導かれていく必要があると思います。

これを読んでくださる方も、神様から遣わされた働き人や本当の教会に出会うまで、
どうぞあきらめないで探し続けてください。