自分はかつて聖霊派の教会にいましたので、霊現象を何度か見てきました。
その中で最も身近だったのが「異言」です。
「異言」で祈る人を礼拝中よく見かけました。
説明しにくいのですが、祈っている最中に日本語から突然切り替わり、
「バラバラバラ…」とすごい早さで舌が動いているような感じの音声になっていきました。
「異言は聖霊を受けたしるしですから、与えられるよう皆で祈りましょう」
と牧師先生はよく言われました。
自分は異言で祈れなかったので、異言を話せる人は不思議だなーと思っていました。
ですので、聖霊の働きはあると聖書にも書いてあるし、そういう現象に特に
懐疑的でもありませんでした。
しかし異言には聖霊の異言と悪霊の異言があるということを最近知りました。
教会の集まりのまっただ中にも悪霊が働くということを知ったとき、仰天しました。
当時の私からしてみると、教会の中は汚れを知らない清浄な場所であるはずだったからです。
これは宣教師の方から聞いた話しです。
ペンテコステの日に話された異言とは、「世界中で話されている言葉の一つで、
エルサレム以外の地方から来た人達が、これは自分達の国の言葉だと分かった言葉のこと」
であって、しっかりと発音することのできる言葉であったということです。
これに対し、私が当時聞いていた「異言」なるものは、音声として不明瞭で
言葉になっていなかったように思います。
これに当てはめてみると、私が当時聞いていた「異言」はほとんどの場合が
悪霊の異言だったと思えてなりません。
後でも書くつもりですが、何故そこまで強く言えるのかというと、
理由が他にもあるからです。
イエス様は霊をすぐには信用しないで、神様から来ている霊か、悪魔から来ている霊か
吟味しなさいと仰っています。
中には、異言で祈っていると陶酔感があって、何時間でも祈ってられるという人も
いました。しかし陶酔感があるからと言って、それが聖霊の働きであると
即断してはいけないと思います。陶酔感は聖霊の働きでなくとも、例えばヨガの修行など
によっても起こせるものだと思います。
聖霊の本当の働きは、人を興奮させるようなものではなく、もっと静かな別なもので
あるように思います。私もまだまだ未熟ですので、偉そうなことは言えませんが…
今ではこの聖霊派で語られていた「異言」に対して非常に懐疑的になっています。
神様の賜物を、真心からではなく、興味本位や、しるしを欲しいとの安易な気持ちで
求めてはならないと思います。
それこそが悪魔が求めてやまない人間の心の隙で、それに乗じて入り込む機会を
いつもサタンは伺っているということを、クリスチャンは肝に命じて
おく必要があると思います。