天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「二人の証人」はこれだ!(2)

二人の証人に関する聖句で一番モヤモヤしていた部分(下に記載)を、

「The Two Witnesses Of Revelation 11 Deception」の論考をさらに訳すことで、確認してみました。

「黙示録のイベント=未来に起こること」

という強烈な刷り込みがあったため、この二人の証人の出来事がすでに過去のイベント

となっていたとは、全く思いもよりませんでした。

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そして彼らがあかしを終えると、底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺す。

彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。

彼らの主もその都で十字架につけられたのである。

もろもろの民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめていて、

その死体を墓に納めることを許さない。

また地に住む人々は、彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を贈り合う。

それは、このふたりの預言者が、地に住む人々を苦しめたからである。

しかし、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らにはいり、彼らが足で立ち上がったので、

それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われた。

(黙示録11:7-11)

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(訳)

「霊的にはソドムとエジプトと呼ばれる大都市の通りにあり」

エルサレムは大都市と呼ばれることはありませんでしたが、黙示録18:9-10で、

エスはバビロンを大都市と呼んでいました。


「彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、

彼女のために胸を打って泣き悲しみ、 彼女の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、

『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、

一瞬にしてきた』。」(黙示録18:9-10)


ローマカトリック教会は大いなるバビロン、大淫婦です。

これらの横たわっている証人達の死体とは、彼らの沈黙を表しています。

ローマカトリック教会(これは秘密のバビロンです)はサタンによって権限を与えられています。

彼らはクリスチャンになりすましていますが、それは実際にはバビロン、太陽崇拝、

サタン崇拝という古くからある宗教です。


「彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。

そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の

巣くつとなった。すべての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは

彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである。」

「また、預言者や聖徒の血、さらに、地上で殺されたすべての者の血が、この都で流されたからである」

(黙示録18:2-3、18:23)


注:あなたがカトリック教会にいるならば、イエスはあなたが「あなたがたはわたしの民から

出て来なさい。あなたは自分の罪の相手ではないし、あなたは自分の疫病を受けない」と命じています。

私たちの主もまた十字架につけられました。

エスは、当時ローマの州であったユダヤと、ローマ総督のポンテウス・ピラトのもとで

十字架にかけられ、彼の命令によって、偽りの罪状ではあったが、そのためにローマ皇帝カエサル

対して、ローマ市民であるのと同じ死に方をしました。

ですから本質的に、イエスはローマで殺されたということになります。


「彼らの死体は、霊的にはソドムとエジプトと呼ばれる大都市の通りにあり、

そこで私たちの主も十字架につけられたのです。」(黙示録11:8)


「彼らの死体は大都市の通りにある」これをバビロンの素晴らしい街、ローマカトリック教会

象徴的な文脈に当てはめてみましょう。

メシアは迫害と死に苦しんできたクリスチャン達において、バビロン自身の中で十字架につけられてきました。


メシアが大いなる光を見せて、サウルに聖徒たちを迫害することに立ち向かったとき、

「わたしは地に倒れた。そして、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と、

呼びかける声を聞いた。」(使徒22:7)

「これに対してわたしは、『主よ、あなたはどなたですか』と言った。すると、その声が、

『わたしは、あなたが迫害しているナザレ人イエスである』と答えた。」(使徒22:9)


エスは明らかに聖徒たちを迫害することは、ご自分を迫害することと同じであると言っています。

彼の友人たち-彼の教会 ―の扱いは、イエスがそこで「新たに十字架につけられた」と

言えるようなものでした。彼の教会にされたことは彼にされたと言われるかもしれないのです。


「そして彼女(バビロン)の中に、預言者と聖人の血、そして地上で殺害されたすべての

血が見つかった。」黙示録18:24


プロテスタント改革派は圧倒的な声で、その当時のローマカトリック教会を「霊的な」

ソドムとエジプトと呼びました。

その穢れのためにソドム、その偶像崇拝のためにエジプトと。

殉教者たちは何度もこの教会を、真の教会に対する迫害と日々ミサを行い、キリストを犠牲に

つけていることのために非難しました。


主の晩餐は、私たちの罪に対するイエスが払って下さった体と血の犠牲を記念しています。

カトリック教会は主の晩餐を操作しており、聖体拝領のウエハースはキリストの体を

表していると主張しています。

サタンもシンボルを使います。聖体顕示台に置かれるウエハース(それは太陽の神、サタンの崇拝を表す

太陽のシンボルです)は、イエスを何度も十字架にかけていることを表しています。


「あらゆる民族、部族、国語、国民に、この死体は3日半の間見られ、その死体は墓に入れさせない」


多くの国がカトリック教会を支持し、それらの人々が誰に対してもプロテスタントに対して

証言しないことを求めました。

1823年の百科事典ブリタニカは、3年半の歴史を記録しています。

「異端者は全滅した。そしてクリスチャンの世界全体が、彼らに蔓延した莫大な不条理を心から

黙認している(ローマ教会による)」

エスの教会は沈黙していて、預言する力と機会を奪われてしまいました。


「そして、地上に住む人々は彼らを喜び、陽気にし、互いに賜物を贈るでしょう。

これら二つの預言者は地上に住む人々を苦しめたからです。」


これはカトリックローマと彼らを支持した国々を喜ばせ、抗議者(プロテスタント)の終わりを

祝うため、大きな祭りを開催しました。


ローマ教皇ローマの偉大さの時代から比類のない素晴らしさ - 第5回ラテラノ評議会の勝利の終わりに、

教皇レオ10世とローマ枢機卿によって与えられた晩餐と祝宴の素晴らしさは

教皇レオ10世の歴史家E.B.エリオットによって特別に記録され、このことはその主なテーマとなっています。

なぜなら、これら二人の預言者が地球に住む人々を苦しめたからです。


「十字架のメッセージは滅びる者への愚かさであるが、救われているわたしたちにとっては

神の力である。」(コリント第一1:18)

神の真理は邪悪な人々に痛みを与え、彼らを憤慨と怒りで満たします。

ワルドー派、アルビ派、ボヘミアン兄弟団、ウィクリフ派の人々のグループは、

彼らを苦しめたカトリック教会に対して証言をしました。


「実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。」(エペソ5:11)


カトリック教会は自分達に対する証言、すなわち彼らの誤った教義、彼らの不純な生活、偶像崇拝

そして彼らの来るべき神の裁きについて、聞く必要がないことを祝いました。


ヨハネの黙示録11:11「3日半後に、神からの命の息が彼らに入り、その足で立った。すると彼らを見た

人々は大きな恐怖にかられた。」


そして三日半後に、神からの命の息が彼らに入りました

1260日が預言的に1260年を表すのと同じように、3年半日は3年半を表します。

この3年半の間、イエス様はマルティン・ルターに神の言葉を研究し、神の真の神殿を測ることを

可能にさせました。

そして第9回ラテラノ評議会が開かれた1514年5月5日の、ちょうどその3年半後の1517年10月31日に、

マーティンルーサーはヴィッテンベルク教会の扉に、彼の「95ヶ条文」を釘付けにしたのです。

1823年の百科事典ブリタニカは、3年半の沈黙の後に起こったことを記録しています。

「1517年に、迷信の帝国はマルティン・ルターから最初の攻撃を受けた。」

ルターの行動は、多くの人がローマカトリック教会に反対して証言するようになった

プロテスタント改革に火をつけたように、キリスト教会が再び生き返った決定的な瞬間でした。

神の言葉で、教会は以前の息を、主に仕えるために、そして真実を守るために、そして大胆さと

勇気をもって彼らの義務を果たすために、立場と態勢を整え、誰の顔も恐れずに取り戻したのです。


「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して

立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、

また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、

また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、

足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。

それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。

救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。

そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、

また祈りなさい。」(エペソ6:10-18)


ルターと改革派、死からよみがえった福音の真理を屠殺された証人たちは、

再びローマと世界の前に立ちはだかりました。


■The Two Witnesses Of Revelation 11 Deception からの訳です(一部)
http://christianitybeliefs.org/end-times-deceptions/the-two-witnesses-of-revelation-11-deception/