叔父は真夜中の3時30分頃に、息をすーっと引き取ったそうです。
ジタバタと苦しんだ跡はありませんでした。
もしかしたら3時33分かもしれない、叔母のアパートの部屋番号が333だから。
どうでもいい話だが。
亡くなってから湯かんに来た人は、亡くなった叔父の表情を見て
「まるで笑っているようだね。」と言っていたそうです。
癌患者が臨終に向かっている時、できるだけ水を取らせないようにすると、
あまり苦しまずに最期を迎えることができるのだそうです。
この時癌患者は「水・・・水・・・」と水を欲しがるそうですが、
家族はそれをぐっとこらえて、水を制限してあげるとよいのだそうです。
その言葉に従って水を好きなだけ与えていると、最期の苦しみが大きくなるのだそうです。
叔父が亡くなる2週間位前から、Dr.はその水分調整を行い
一日1リットルだけという制限を開始していたようです。
偶然にほとんど時を同じくして、私の会社の同僚の祖母も亡くなったのですが、
90歳以上にもなるその祖母は、最期とても苦しんで、
血を吐いたりしてもがきながら亡くなったそうです。
(彼女は肝臓を患っていたそうです)
叔父があと2~3日で亡くなるかもしれないということをDr.から聞いて、
叔母は私に葬儀の式次第を作ってほしいと言ってきました。
家族葬で行うので、思い切りキリスト教式で行おうという方針でした。
クリスチャンであった叔父を送り出すことはもちろんですが、
家族や親族への伝道の意味合いもありました。
神様の言葉とか雰囲気を伝えるチャンス!とばかり、私も熱が入りました。
「日本の人は神様の言葉に触れる機会がほとんどありません。(←?)
神様のご存在をこのお葬式でおあらわし下さい。」
と事前にお祈りして、式に臨みました。
プログラムを作った関係で、何故か司会を自分がやる雲行きになり、
「何でこういうことが苦手な自分がよりによって・・・」
「他にもっと適任者がいるだろう」
と思いましたが、滅多にない機会なので引き受けることにしました。
式が始まり、最初の讃美歌を歌い始めた時、叔母の方からなんだか
別の歌詞で歌っているような声が聞こえてきました。
(つづく)