天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

戻ってきた「主は、生きておられる」

4月からずっと在宅勤務になっているので、仕事の合間の空き時間を利用してこれを書いています。昨日面白いことがあったので、皆さんにご報告します。

ここ10カ月ほどある人のことを祈っていて、それに付随して、「昔読んだ『主は生きておられる』という本を書いた忠さんのように、神様の救いから遠いような人でも、あなたが救って下さることを期待しています。」ということを、3~4回ほど書いていました(頭の中だけで祈れないのでメールに書いている)。また、なんとなく「『主は生きておられる』の忠さん」というフレーズを、心の中で繰り返しつぶやいていたと思います。そうこうしているうちに、「あの本面白かったからもう一度読んでみたいな。」と思い始めていました。

ところで、母が最近こんな夢を見ました。母の所に母と親しい3人の姪達がやってきて、そのうちの一人が聖書らしきものを母に渡し、「もうこれは必要なくなったから返すね」と言ってきたそうです。そして、「私たちは私たちのやり方でやるから。」と、3人揃って礼拝(?)しており、その陰で亡くなった叔母(3人の姪たちの母)が、薄ぼんやりとした姿で見守っている、という夢でした。

先日の家庭礼拝の時、その話しを大阪のパワフルな叔母にすると、その3人が今大変なことになっていて、でもその大変な中、助け合い、協力するようになったという連絡を受けていたの、と教えられました。母も私もその話しを聞いて、何かピンとくるものがありました。母の見た夢が何かを示唆する霊夢ではないかと思ったからです。

すると、月曜日にその3人姉妹の内の一人(長女)から「ちょっと叔母ちゃん(私の母)に話したいことがあるから、家に立ち寄るね。」という電話がかかってきました。「叔母ちゃんに借りていた本があったから、それも返すね。」私はこれを聞いた時、もしかして?とピンときました。

実は8年前、私が和歌山にいた時に、当時通っていた教会で「主は、生きておられる」という無料の本があるのを見つけ、教会の人から数冊もらい受けたことがあったのです。それには著者が救われ、神様の働き人となった経緯が生き生きと書かれていました。神様が手ずからその人の上に働き、神様のことを証しようとされていることがよく伝わってきました。(昔書いた記事:山が動く信仰(勝矢忠さんの証し) - 天国への一歩 (hatenablog.com))そこで、母を通し、周りの人にその数冊を渡してもらったのです。息子さんの問題を抱えていたその長女にも、何か参考になればという気持ちで、母の方から1冊渡してもらっていました。

さて次の日、その長女がやってきました。母とちょっと玄関で立ち話をした後、すぐ去って行きました。長女はステージ4の乳がんを患っており、抗がん剤の治療を受けている最中でしたが、思ったより元気そうに見えました。

彼女が置いていった包みをそっと開けてみると、そこには果たして、8年前にあげたはずの勝矢忠(かつやただし)さんの「主は、生きておられる」が入っていました。

「あー、やっぱり神様か天使が、私の書いたメールちゃんと見ていてくれたわ。」

寝る前に神様宛てのメールを書いた後、それが自分の担当の天使がよく見えるように、わざとスマホをぱかっと開けっ放しにして寝ることを繰り返していたのです。

これで母の夢が正夢となりました。長女はそれを読んでいないようでした。家庭の問題や本人の末期がんで大変なのに、それでもキリストの神様に頼らなくても平気という、その精神力に驚かされました。この長女は霊的なことには興味があるようで、確か仏教系の教えに傾倒していたはずです。

それよりも、ずっと祈っていた祈りの答えを、最近頂いたと思うことがあったのですが、本当にそれが祈りの答えだったのか、自分の思い過ごしなのか、偶然の一致なのか、いまいち確信が持てずにいたのです。その答えらしきものが来たとき、神様にすぐに「これがあなたがして下さったことなのかよく分かりませんが、もしそうだとしたらありがとうございました。」と声に出して祈ったのです。すると、この本が返ってきたというわけです。

昨日はこのことがあったので、嬉しくてニヤニヤが止まりませんでした。神様は面白いことをして下さる。となると、私が祈っている対象の人に、神様は確実に働きかけて下さっているわけで、これはますます期待が持てると思いました。でもそれは神様のタイミングでなされますね。

「主は、生きておられる」は自費出版されており、著者の勝矢忠さんはもう亡くなられているので、再販はないかもしれません。せっかくこうして戻ってきたので、機会を見てこの本の一部を抜粋してここに載せようと思います。