以前いた職場に、渡会(わたらい)さんという人がいました。
彼女はヤンキーぽい雰囲気の人で、皆から恐れられていました。
誰にでもペコペコしない人で、仕事ができて、凛としたクールな印象だったので、
彼女に対しては、社長でさえも気を使っていました。
彼女が喋っていたことで、印象に残ったことがあります。
ある時、沖でジェットサーフィンをしていて、女性が溺れているのを見たそうです。
それで彼女を助けようと、躊躇なく海に飛び込んでいったそうです。
この話を聞いた時、「何て勇気のある人なんだろう。」と感心しました。
普段は人にへつらわず、クールに見えるのに、
内面には熱いものを持っているんだな、と思いました。
また、彼女は霊感を強く持っているようでした。
彼女を見た時に、黒い影がまとわりついていると感じたのですが、
それは良くないもののような気がしました。
彼女の話を聞くと、やっぱり「私、見えるんですよ。」とのことでした。
ところで、私がこれから行こうとしている磯部町なんですが、地図を見ていると、
「度会郡」という地名が周辺に大きく広がっているのが分かります。
それで彼女のことを思い出しました。
度会家というのは、体制に屈しない、
なかなか筋の通ったことを行った、神官の家系だったようです。
「旧事本紀」に物部系の古代豪族として記されている、旧家でもあります。
度会の名が示す通り、「渡来」人として、
海を渡ってやってきたということを、彷彿とさせる名前でもあります。
伊勢神宮の祭祀のやり方には、鎌倉時代の末~南北朝時代に、
度会行忠という人が提唱した、「伊勢神道」(=度会神道)の教えが根幹にあるといいます。
その「度会神道」の教えが問題なのですが、一体何を教えの中心としているのかというと、
・伊勢神宮の外宮の神は、豊受大神=天御中主神(あめのみなかぬし)(=唯一神)
・真っ直ぐで、清い心を常に持つ
・祈りを重視
ということなんだそうです。
これって旧約聖書の教えとか、キリスト教の教えにほとんど同じだと思いませんか?
歴史で習ったように、鎌倉時代は色々な仏教が勃興した時代です。
度会氏のしたことは、政治・仏教界に、挑戦状を叩き付けたことになるのではないでしょうか。
この由緒正しい、神官度会家の血の流れを引いているのであれば、
渡会さんが、あのように霊感が強く、勇気があり、
独立独歩的な存在だった、というのも納得できます。
もし彼女の中に、本当の神様から来る、清い霊が入り込んだのならば、
必ずや目覚ましい働きをするに人に違いない、と思いました。
歴史の流れにおいて、神道も色々な派が出てきたらしいのですが、
日ユ同祖論的視点から見た神道は、大きく次の2つに分けられるみたいです。
・旧約の神様の神道
・新約の神様の神道
古代日本において、海を越えて日本に渡ってきた人達(物部氏系の人達)が、
旧約の神様(天御中主神)を崇めており、
その後、ある時点から、新約の神様(天照大御神)が中心となって崇められ出した、
という図式が見えるのだそうです。
私もごちゃごちゃと、あちこちの本を引っくり返して調べているうちに、
ぼんやりとそうなんじゃないかなー、と思うようになりました。
歴史を作られるのは、天地万物を創られた神様のなさる業だと思っています。
そういう視点をもっていないと、全てが深い霧に包まれて、
「やっぱ日本の神話って分かりにくいよねー」と、謎のままで終わってしまうかもしれません。
ですが、唯一の神様とイエス・キリストという鍵をもって見てみると、
霧が晴れて、さーっと視点が開けていくのを感じます。
信じるか信じないかは、あなた次第です。(笑)