天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

THE FORCE (アルベルト・リベラのシリーズより)(13)

そのミサはA.D.394年頃の12月24日に最初に唱えられた・・・。

それはキリストのミサであり、クリスマスであった。宗教機構はそれをバールの誕生日からイエスの誕生日に変えたのだ。異教徒たちはそれを喜んだ。

それはローマカトリック界にとっても一年で最も盛大に祝われる日となっていった。

それは灯火と歌とクリスマスツリーと贈り物をする祭りの時であるが、また自殺とホームレスが絶望する時でもある。

私たちはクリスマスの薪やパーティー、サンタクロースがプレゼントを置いていってくれるのを待つ子供達を見る。

また太陽が頭の上にある処女マリアと幼い赤ん坊を見るのだ。

聖書は私たちにキリストの誕生を祝うようにと指示しているだろうか?

いいや!キリストもその弟子たちもそのようにしろとは行っていない。今まで初期の信者がキリストの誕生を祝ったという記録は何もないのだ。クリスマスはなおさらである。

この非聖書的な習慣はキリストをそのミサと結びつけるためにバチカンによって制度化されたのである。今日プロテスタントはこのローマカトリックの「聖日」に従うよう圧力をかけられている。

過去において、聖書を信じる者達にとって最も大切な日は収穫祭であった。それは彼らに新しい土地を与えて下さった神への感謝の時であったからだ。

また、迫害とローマのくびきから自由になったことを祝う日もとって置かれた。

しかし今や感謝祭はサレムの魔女裁判の問題で損なわれている。

それは毎年この時期いつもテレビで取り上げられている。まディアはそれを「アメリカのプロテスタント主義の忌まわしき汚点」と呼んでいる。

だが本当に起こったことを詳しく見てみよう。

サレムの町にいる説教者がおり、名をサミュアル・パリスと行った。彼の家には名前をティルバという家の奴隷がいたが、彼はブードゥーと魔術にのめり込んでいた。

ティルバは村の若い女性達を魔術に引き込み、その結果彼らは悪魔にとりつかれた。クリスチャンの何人かは彼らの状態に気づき始めた。

彼女達自身とその秘密を守るため、それらの若い女性たちは他の教会の(彼らが嫌っていた)メンバー達が呪文を唱えていると公に責め始めた。

その女性達は人々に影響を与えるため、彼らのオカルトの力を用いた。

この狂気の結果、23名のクリスチャンが聖書に基づくことなく死に追いやられた・・・そして魔女達は無罪放免となった。(The Devil in Massachusetts Manon Starkey著 1949年より)

今日ウィッカ教会とその魔女達は、サレムで何が本当に起きたのか知って笑っている。そしてかなり独善的にテレビのカメラの前で叫んでいる。

「クリスチャンによって、私たち魔女は二度と死に追いやられさせはしない!」

彼らは魔女達の代わりにクリスチャンが死んだということを知っている。しかし彼らは公の人々がそれを発見することは決してないと確信しているのだ。

テレビで私たちは何度もサレムで「魔女が」死に追いやられたと報道しているのを見る。

しかしテレビのネットワークは恐ろしい「スペインの異端審問」によって、6800万人近くもの人々が犠牲となったことについては黙っている。

これはサタンがいかにして感謝祭を汚すことに成功しているかを示すものである。

ティム:「アルベルト、もしバチカンが聖書の黙示録18章2節に出てくる悪魔の棲み家だとしたら、ローマカトリックが天国に入れるどんなチャンスがあるのでしょう。」

アルベルト:「いいやティム。君はこのオカルト機構がクリスチャンの教会では決してないということに気づかなければいけない!その中にある全てのものは偽物だ。

彼らの神とイエス聖霊は聖書に見出されるものとは違うのだ。説明させてほしい。」

アルベルト:「イエスが『私の元に来る子供達を妨げてはならない。何故なら神の天国はそのような者達のものだから。』と仰られる時、それは子供達に対する彼の愛を示している。

ローマの司祭達はカトリックの親たちに洗礼は救われるために絶対的に必要だと説く。そしてもし赤ん坊が洗礼を受けることなく死ぬと、彼は栄光に預かることはできないと説く。

親達の知らないことに、赤ん坊をバールに捧げるサタン的な古代の儀式では、油と塩を用いたが、今や彼らの子供にも使われようとしているのだ。

この無垢な赤ん坊はバビロンの悪魔達のもとに晒されているのだ。」

洗礼の秘蹟では、赤ん坊は彼らのローマカトリックの「イエス」の面前に出ることは許されない。イエスとは何だ?私はクラッカーやウェハースのことを言っている。

それは司祭が魔法のように、ミサの間イエスを変化させたものだ。そのウエハースの神(ローマカトリックのイエス)は、「教会」の祭壇の上に置かれた聖ひつの中に収められる。

これは赤ん坊が晒されないようにしているイエスなのだ。それで赤ん坊は教会の後ろで洗礼を授けられる。

司祭は赤ん坊を悪魔の力から守るために、しなければいけないことがあると宣言する。司祭は赤ん坊の額に油で「タンムズ」の印を付ける。

それから彼は赤ん坊の口に塩を入れ、水で洗礼を施す。

その赤ん坊はバチカンの偉大なるバビロンの宗教の一員となった。この時点でその赤ん坊は現在から清められ、神の子供であり天の世継ぎとなったとされる。その赤ん坊はもう一度生まれたのだ。

ティム:「しかしアルベルト、聖書は誰かがイエスを信じた時にだけ洗礼を受けるべきだと言っている。

それはイエスを信じる者が、彼と彼の死と、葬られたことと一致することを示すために行われたのではないですか。幼児洗礼のことは聖書にはありません。」

アルベルト:「そうだティム。しかしサタンの発明は彼らを天国の道に乗っかっていると信じさせるためなのだ。その赤ん坊の魂の上に書かれた消すことのできない印は悪魔的なものだ。

それは魔術の印に由来している。だからローマカトリック教徒にとって、その邪悪な組織にいる間は救いは何もないのだ。

エスはそれをとても嫌われたので、黙示録の18章4節で大切なローマカトリック教徒にこう仰っている。

『私の民よ、彼女から逃れなさい。彼女の罪を引き継いではならない。また彼女の疫病を身に受けてはならない。』」

(つづく)

原文はこちらから↓
http://www.fmh-child.org/Force.html