すでにお気づきかと思いますが、京都にも知り合いがいません。
った我ながら無謀な事しているなあと、昨日から今日にかけてふと魔がさし、非常に寂しくなりました。
心の中で神様にえらく泣きついていたら、以前いた和歌山の教会の人達などから立て続けに、
メールとか電話があって、無事一日を終えることができました。
神様って本当におられるんだな、と感謝する出来事でした。
それで天使のようなKさんのことなのですが、
彼もこの出会いに特別なものを感じてくれていたらしくて、
しきりと自分のホームで働きませんか、と声をかけて下さいました。
私もKさんのそばで仕事ができたら、さぞ楽しくて幸せだろうなあと感じていたのですが、
いかんせん、障害を持った人への思いが全然足りないことに気づきました。
また、Kさんのホームは1人の女性を除き、男性ばかりのホームだということも、
自分に二の足を踏ませる要因となりました。
ならば周辺の仕事からでも、ということを言われましたが、
一方で、和歌山以外の他の土地も見てみたい、行くなら自然が多く残されていて、
被写体になる場所が多い所がいい、という思いがだんだんと強くなってきていました。
しかし同時に、神様に和歌山まで引っ張ってこられたのは、
Kさんのお手伝いをするためだとも思っていたので、
その考えは自分の我がままから出て来る思いかもしれない、と感じていました。
そして、もしKさんが強く打診してきたなら、和歌山に残ろうと考えていました。
ですが特にそういう要請もなく、私の意向に合わせてくれていたようだったので、
結局残ることよりも移動することに決めました。
候補地としては滋賀県ということも考えたのですが、最終的に京都が残りました。
そこで、Kさんや他のスタッフに「京都に移ろうと思います。」と告げました。
その時、Kさんの顔が真っ青に変わったのを見てしまいました。
「人間の顔って本当にこんなに青くなるもんなんだ。」
とその時やけに冷静に観察している自分がいました。
私のその一言が彼の心をひどく動かしたみたいで、
一体自分はどうすべきなんだと、また悩み始めました。
この時京都に行くまでに残された日数は限られていたのですが、
それまでKさんとじっくりお話したことがなかったので、
話せば何か変わるかもしれないと思って、忙しく動き回るKさんと調整をつけては、
できるだけ話す努力をしてきました。
話し合いは毎回中身のある内容とはならず、いつも世間話に終始してしまいました。
しかし話し終わって家に帰る度に、自分の中の何かがひどく苦しんでおり、
それは、寝転んで身動きが取れなくなくなる位でした。
その時これが聖書にいう「聖霊のうめき」ってやつなのかと思いました。
自分の頭の中では京都に行くという計画を立てており、自分の心もそのつもりで準備しているけれど、
それらとは違ったところで何かが苦しんでいる、というのをはっきりと感じました。
こんなことが2か月続いたのですが、その間眠れないことも多く、食欲も湧かなかったので、
職場の人に「痩せたね」と言われる位、いつの間にかやつれてしまっていました。
ですが、私のKさんに対する思いというのは、男女の愛というよりは、
家族以上に心が近い人、という方が適切だったような気がします。
(つづく)