この前の日曜日の話。
礼拝に行く前のお気に入りの散歩コースを歩きながら、つらつらとあることを考えていました。
その時の先生のお説教が、「変わること」についてでした。
礼拝直前に、私が道を歩きながら考えていたことと同じような内容だったので、
「先生同じことを喋っているなー」
と思いながら聞いていました。
こういう時、クリスチャンの心はつながっているなあと思います。
神様が同じときに、同じことを示されているのかな。
以前、我が家に宣教師の方を2人招いて、聖書のお話を聞かせて頂いていました。
2人とも別々にお説教の中身を考えてきているはずなのに、
その日の内容が同じだったり、意味的に連続するようなものだったり、
そういうことがたまにありました。
ところで先日大阪の叔母さんと、電話で喋った時の話。
そのパワフルな叔母さんに、これまたパワフルな息子さんがいます。
ティーンネージャーの頃、暴走族に入っていたという。
叔母さんが信仰熱心なのに対して、この息子さんは、
「今俺のバイブルはスノボなんや!」
と、暴走族の後スノボにのめり込んで、叔母さんの熱心な働きかけにも関わらず、
神様とか聖書とかには全く関心がありませんでした。
私はこの息子さんには数回しか会ったことありませんが、
会うと叔母さんの祈りが息子さん達(3人いる)に注がれてきたのを感じます。
でも誰もはっきりと神様を信じているとは言っていないらしい。
その、かつて暴走族だった息子さんが今長野県にいるんですが、
先日叔母さんが息子さんの所まで会いに行ったそうです。
その時息子さんが、叔母さんを諏訪大社に連れて行ってくれたそうです。
「おかん、御頭祭って知ってるか?」
と、諏訪大社にはアブラハムがイサクをモリヤ山で捧げた出来事を
彷彿とさせる祭りが行われていることを説明してくれたそうです。
この諏訪大社の御頭祭、レムナントの久保有政氏の本のお蔭で
一気に有名になった感があります。テレビで取り上げられる位。
神様に今まで一切関心がなかった自分の息子が、
まさかそんなことを言い出すなんて思わなかったそうです。
叔母さんは御頭祭のことは知らなかったらしく、
「今若い子の方が神社に関心があるみたいね」
と言っていました。
この息子さん、典型的なお祭り男だそうで、
誰よりも先に神輿を担ぐタイプなのだそうです。
この諏訪大社の話も、お祭り好きが高じて調べているうちに知ったらしいのです。
こういう話を聞くと、神様は頭の固い年代は放っておいて、
柔軟な考え方のできる、若い世代に働きかけておられるのかなと思います。
だとすると、これからもっとクリスチャン以外の日本人にも、
日本と古代イスラエルの関係について、関心が高まってくるような気がします。
フリーメーソンの時もそうだったからなあ。
フリーメーソンのことを話すと、家族や友人に冷やかな目で見られたけど、
テレビ番組で取り上げられる位、あっという間に話題が拡散していきました。
インターネットが世に出たのは、神様の働きだと信じてやまないのですが、
恐るべし情報の力。
この前の七夕に神社で短冊に願いごとを書いてきたんですが、
日本人が創造主である本当の神様のことを知って、一斉にひれ伏す日が来ればいいなあ、
ということでした。
自分の生きている間にそういうことが起これば興奮するなあ。
このうねりが大きくなることを願います。