天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「イッサ伝」を読んで その2

前に「『イッサ伝』を読んで」という日記で、
教会についての自分の発言が生意気というか、良くないと思いましたので
修正しようと思います。

エス様は「集まるのをやめてはならない」と仰っておられるので、
それを実践しているクリスチャンの集まりを非難してはいけませんよね。

自分に偽善的な所があるように、人の集まりのある所に偽善が生じるのは
やむを得ないことなのかもしれません。

「教会の教え」を重視するあまり、自然な感情や判断力を押し殺してまで
上長に従わなくてはならない、という風潮を教会内であるのを見て
それはちょっとおかしいのではないのかと思っていました。

エス様は「善に過ぎてはならない」とも仰いましたが、
このような風潮は、まさしく善に過ぎているように自分には感じられました。

先生や信者さんはよく「キリスト教は宗教じゃない」と言っているのを聞きましたが、
こういう所はまさに宗教だよ!と思います。

教えを実生活に応用するのは、信者側に任されていると思うのですが、
どうも宗教家は目につく人を自分が指導したいようです。

「あなたが信仰だと信じる所をなせ」と聖書に書いてあります。

そうじゃないと宗教家の言いなりになってしまい、応用の効かない人になってしまいます。
内在する聖霊が、その人が放縦になるのをとどめる抑止力になっていると
彼らは信じていないのでしょうか。

自分で判断することのできない人間になっていくのを、神様は良しとするでしょうか。
(批判になってしまうのは良くないですけれども・・・)
何でも一人立ちできるようになるのが、健全な状態ではないでしょうか。

あれれ、また発言が生意気に?!