天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

好きな音楽の話し(Worthy is the Lamb)

Worthy is the Lamb by Hill Song

クリスチャンの方はすでにお気づきかと思いますが、自分のブログには

「イエス様」とか「主」という言葉がほとんど出てきません。

自分が祈ったり叫んだりする対象は、幼い頃からいつも「神様」一辺倒なのです。

教会の子供達が「イエス様大好き!」という言葉を普通に言っていたりして、

何十年も信じているつもりが、「何で自分はそう思わないんだろう」

といぶかしく思っていました。教会のお説教では、

「イエス様が尊い犠牲を払って下さった十字架の御業に感謝しましょう。」

といつも言われるのですが、「よく分からないものは分からない。」と、

いまいちピンとこないまま今日まで過ごしてきました。

「きっとイエス様に対する愛がないのだろう」

たぶんそういうことは霊的な啓示によるものであって、それを阻害している何かが

自分にはあるのだと思っています。もしくは求め方が足りないのかもしれません。

しかもフリーメーソンユダヤ人の嘘、宗教人の偽善などを知っているので、

余計信仰がニヒル化してきているかもしれません。

そんな気持ちで過ごしているものだから、最近のゴスペルソングを聞く時も

ついつい「どうせ・・・」みたいな態度になってしまいがちです。

周りが盛り上がれば盛り上がるほど、自分の心は冷めていってしまうのです。

この曲もそんな気持ちで、何かのついでで仕方なく聞き始めたのですが、

聞き流していたらいつのまにか号泣状態に!

エス様の十字架の贖いに対して、全く感謝の薄い自分なのですが、

この曲を聴いていると、イエス様が払って下さった尊い犠牲と、

それに対する深い感動と感謝が、自然と腹の底から湧き上がってくるのを感じ、溢れ出る涙が止まりません。

この感動はどこからやって来るのだろう?

頭で分からなくても魂で分かる感じ?

言葉を介さなくても分かることってあるんだ、いやむしろこの方がよく分かる!

この曲の他にもう一つ、聞く度にイエス様(こちらは珍しく神様ではなくイエス様と感じる)の

深い愛を感じる曲があります。

それは世間によく知られている、バッハの「G線上のアリア」です。

こちらも何故か聞く度に、イエス様の果てしない優しさを感じ、

「私が悪うございました。ごめんなさい、ウァ~~~ン」と号泣状態に陥ります。

「かたじけなさに涙こぼるる」とはまさにこのことです。

不思議と何回聞いてもそうなります。

この曲は感動の度合いに比べると名前が無味乾燥過ぎるな。

皆さんも神様(イエス様)の果てしない愛を感じる曲はありますか?

その片鱗をこれらの音楽から感じるのですが、きっと天国で流れている音楽は、

地上で流れている音楽よりもずっと素晴らしく、魂を潤してくれるものなのでしょうね。