天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

母の信仰ヒストリー(その1)

もう何度も家族の中では話されていることなのですが、
母親が信仰を持った経緯についてご紹介したいと思います。

母は家族の中で最初に神様とイエス様に対する信仰を持った人です。
ちなみに親族でクリスチャンになった人達は以下のとおりです。

母、母の姉とその娘、母の妹と旦那さん、私、姉とその息子、
妹、母の母(私からは祖母で他界)

あらためて書き出してみると、徐々に信仰の環が広がっていっているなあと思います。
特に母から信仰を強制されたという記憶はないのですが、皆自然と
母の影響を受けていると言わざるをえません。

母は7~8歳の頃、自分の父親に「神棚に向ってパンパンと手を叩け」
と言われたが、反発してわざと手を叩かなかったり、
「正月は玄関を掃いてはいけない。神様達が逃げて行くから。」
と言われて、馬鹿にして正月にわざと玄関を掃いたりした記憶があるそうです。

いつもこれを聞くたびにゲラゲラ笑ってしまいます。
7人兄妹がいる中で、頑なに反抗したのは母だけだそうです。

それだけ聞くと単なる嫌な子供ですよね(笑)
一般的な日本人だとこれ聞いたら怒るだろうなあ。

本人は当時からそういう風習を子供臭いと感じていたそうです。
父親の普段の行いと、一年に一回とか、その時だけ手を合わせるような
信仰の姿勢は変だと思っていたということです。子供って恐いですね。

子供の頃から日本的な文化よりもキリスト教的な文化に引かれていたらしく、
小説ならドフトエフスキーを読み、映画は「十戒」「ベン・ハ―」などを一人で
見に行くような子だったと言います。

中学生の時に「十戒」「ベン・ハ―」を遠くの隣の町まで歩いて見に行った
らしく、帰りは真夜中になり、まずそんな中学生周りに誰もいなかったといいます。
なのでその点で話の合うクラスメートも誰もいなかったということです。

母は戦後生まれですが、終戦GHQの方針?か何かで日本に宣教団が送り込まれ、
母が中学3年位の時に「天幕伝道」という方式で、宣教師達が太鼓を叩きながら
聖歌を歌い、母の住んでいる町にもやって来ました。

町の人達は「何だ何だ」という感じで、皆ぞろぞろと集まって来ました。
母の一番上の兄も母を連れて一緒に行ったそうです。
集会が終わった後、兄は「ただ信ぜよなんて、キリスト教は単純すぎる」
と言ってその後興味を失ってしまいました。

集会が終わった後、「集まりが定期的にありますからまたいらして下さい」と
アナウンスがあったそうです。母は当時結核という病気のこともあり、
何かを求める気持ちが強く、そこの集まりに行くようになりました。
天幕伝道では70~80人位が集まっていたのに、そこに再び戻ってきたのは
3人だけだったと言います。

その3人は1人が若い男性で、あとの2人は母と母よりも数歳年上の女性でした。
その後母とその女性は聖霊派の教会に繋がり、女性の方は今でもきちんとした信仰を
保っていらっしゃるようです。しかし男性の方は途中で音信不通になり、
現在信仰を持っているかどうかは分からないということです。

当時その集まりのお世話をしてくださった牧師さんが、その後そこの教団(聖霊派)の
理事にまでなった人だそうで、自分を低くする人柄や、奉仕して下さる姿勢に
とても感銘を受け、今でもいきいきと当時の様子が思い出されると言います。

(続く)