天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

聖白色同胞団を脱会した人の証言/和訳(12)

判断は読者に委ねられている。私が言えるのは何故私が神をとても歳とった人に見えたのか知らないということだけだ。

私は彼が人間ではないということを知っているし、誰も神を見ることができないので、彼は神の代理だったのかもしれない。もしかしたら、私の心は自分の経験しているものを翻訳し、目に見えるイメージとして理解可能なものへと変化させたのかもしれない。

 神の存在は人間の思いや記述、説明を超えている。確かにそれは私を超えるものである。それは、その完全な現実性と愛において、人間の感情を超える感情である。

誰かが少しのあいだ聖なる存在に触れるとき、神以外の他のものは無意味の中に消えてしまう。誰かがただ永遠にそこに留まりたいと願うが、悲しいかなそれは不可能である。神の新しい僕はが仕えるのはここ地上なのだ。福音を広めるために戻らなくてはならないということはとても苦痛なことである。

 私はこんにち、裁きの日にとてもわずかな魂しか救われないということが信じられなかった。今私が自分の平均的な罪を思い出して、他の人の恐ろしい罪と比べてみたとき、聖書が言っている真実を受け入れることができるのである。神は教師であり、私達は生徒である。

 彼の教えに従うことをしなければ私達は救われないし、救われ得ないのだ。私達の人生の道は、私達を神に向けるか、神から引き離す方向に向いている。私達は自分で選べる自由意志を持っている。これらの言葉は、魂達に自分自身が決断をするということの助けになるだろう。

 人間の法は、許し、私達を自分の取った行動の責任を問わないかもしれない。しかし、神は庭師であり、純粋な実のみを刈り取るだろう。神がもう一度地上に天国を創造するときは、火の中へ全て純粋でないものを投じるのだ。

 ある間違いを犯しているクリスチャンは、神はビジョンの中で現れるので、直接的でない方法以外で語られるということを信じていない。

またあるクリスチャンは、悪魔の存在やサタンの力、その外的な影響力を信じていない。もちろん、もし人が天使でも恐れる道を歩んだことがないならば、超自然の悪の力を直接経験することはないだろう。

 彼らはただこういう言い訳をしている。「神は不思議な方法で働かれる。」「私達はただ彼の意志を受け入れなければならない。」

 これは何故、以前はクリスチャンを告訴する者だった聖パウロが、悪の源泉の体験が何もない者達がより劣る弟子となった一方で、神の啓示の後に最も偉大なキリスト教の推進者であり教師となったのかを説明するものかもしれない。

 そのように私自身、数年間サタンの力より攻撃を受けてきたが、今はこれらの言葉を団体の不信仰の指導者に対抗するために書くよう、霊感を受け続けている。

彼らのうちで神の衣を着てはいるが、何百万人ものすでに去ってしまった信じるクリスチャンより優れた知識を持っていると考える方を選んだ者達がいる。

 彼らと自分達のものの見方に同意している他の者達は、自分達の言い分の真実さをまず最初に受け入れているに違いない。つまり、彼らの信念は、彼らの内部のみから来ているということだ。

彼らが聖なる書物を脇へ放り投げてきた一方で、私や他の私と似た者達は、聖書を研究することによってではなく、盲目の信仰によってではなく、純粋に神が一人一人にとって個人的なお方であるということによって聖なる創造者を体験してきた。

全ての人は神を知りたい、理解したいと願うなら、彼を見つけることができるのだ。

 私のイエスの物語に対する全くの不信は、彼はかつており、今もいらっしゃること、また神の聖なる御子であるということ、私達の贖いと救いは彼を通してのみもたらされる、という信仰に変えられた。

私もサタンの魂に対する影響を打ち消すという、神に対する祈りが答えられるということを確信している。

この点から私は私の妻と牧師とコングリゲーション教会の聖書読会のメンバー達が、私のために祈ってくれていたことに対しとても感謝しており、彼らに謝意を表するものである。

(つづく)


原文はここから読むことができます。

http://www.bbc.co.uk/dna/h2g2/U549095

Keithさんの証しはビデオでも見れるようです

http://www.tangle.com/search?search_text=spiritualism&type=video