天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

聖白色同胞団を脱会した人の証言/和訳(11)

 今神は私に何を期待されているのだろうか?と不思議に思った。

教会に加わり祈るべきだろうか?修道院も一つの方法か?洞窟を見つけるべきだろうか?

そこで聖なる御心と交信するべきだろうか?

 ただ一つ私に分かっていたのは、いのちは二度と同じものではありえないということだった。

私は墓で土曜日の夜中まで留まり、夜明けに近づく頃4人の天使がいることに気づいた。

彼らは私に着物を着せ、洗い浄めるために来た。彼らは私を神に対して祈るため引き上げた。

神は私の魂を、真理に仕えさせるため、またほとんど永遠に失われてしまう地点まで私がいつも遠ざかっていたため、救ってくださったのである。

 日曜日の朝、墓は開かれた。天使の声が彼らの王を讃えたとき、すごい光りが降り注いだ。

温かさと愛が私を取り囲んだ。私は新しいいのちへと招かれた。

肉体を持ったまま神の僕として仕えるために再び生まれたのだ。

 私は新鮮な空気を吸った。その日自分の人生が再び始まったことを知りながら。

しかし、最初に私は神について、またいかに自分が欺かれていたかについて学び直さなければならなかった。

 私が他の魂達と教室にいるのに気づいた時、その映像は続いていた。

一人の教師が正義の物差を手に抱えて入ってきた。

彼はどのように聖白色同胞団が生まれ、自分達を人間と神から盗んだ光によって自分達を装うかについて教えを進めた。

闇の天使達はこのようにして光の天使達に化けるのである。

彼らは魂達を欺いて信じさせる。彼らは神から来たとし、もし人がそれに同意するなら彼らは微笑んで言う。

「来て私達の道を歩みなさい。遅れてはいけない。やらねばならないことが多くあるのだから。

そこで今ここに招かれた者、傷ついた者は、今まで語られたことのない秘密を受け取り、この群れの中に足を踏み入れなさい。」

 その映像と教えは続き、彼らは巨大な天使(彼のことを私はアークエンジェルのミカエルだと思った)と共に話しを終えた。

彼はまるで私が子供であるかのようにして手を取っていた。

彼は「神があなたに命じた仕事を見なさい。」と言った。

私達は共に道を歩いていった。私はより軽い足取りだった。

今や私が神の法を知る前の自分が負っていた罪の荷物から解かれていたからである。

 道に沿って両脇にいくつかの教会があった。各々の教会に来た時私は思った。

「ここが私が仕える予定の所に違いない。」

「いいや違う。」

と天使は言って歩き続けた。次の教会が「今度こそここに違いない、私が仕えるのは。」と私に考えさせるまで歩いていった。

一つ一つの教会を通り過ぎ、道が砂の道になり、そして石ころだらけの道になり、最後に砂漠の土地になり先細って消えていった。砂漠の中央で天使は止まって言った。

「ここが神が命じた仕事場だ。この砂漠の中の砂のひと粒ひと粒が地球にいる魂なのだ。ここがお前の価値を証明する場所である。

罪の赦しが与えられる人々を神のもとに連れて来なさい。しかし最初にあなたが信じていた人々に、神が何をあなたに示されたのかを告げなさい。これはお前が今しなくてはならないことだ。」

それからその天使の映像は消えてしまった。それは1968年6月のことであり、どちらも二度と戻らなかった。

 私は自分が以前は信じていなかった者になったのだ。すなわち再び生まれたクリスチャンに。

これは聖書を読むことによってなされたのではなく、神からの直接の啓示によってなされた。

しかしその時私は気づいていなかった。

神の小さな閃きは、闇の中のサーチライトのようなものであって、サタン的な力はそれを消すために団結しているのだと。

騙されやすい魂は、洗い浄められて立ち上がりはするが、離れていき、騙されている人々によって前もって準備されている罠に落ち込んでいく。

 神は私の魂に巻きついていた蛇を殺したが、蛇が死んでいく痛みがおさまり、地面へずるずると崩れ去っていき、二度と戻らなくなるまで何年も費やさねばならなかった。

もしかしたらある人は言うかもしれない。

本当の変化は瞬時だったに違いないが、神がご自身を表わされている聖書の話からはかけ離れた、そのようなオカルトからの救出はこんにち、この時代においてはかなり普通でないことだと。

(つづく)


原文はここから読むことができます。

http://www.bbc.co.uk/dna/h2g2/U549095

Keithさんの証しはビデオでも見れるようです

http://www.tangle.com/search?search_text=spiritualism&type=video