天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

聖白色同胞団を脱会した人の証言/和訳(2)

前の記事からまたひと月近くたってしまいました!
ひいひい言いながらやっと訳しています。
この記事が、昨今の癒しブームに疑問を持つ人にも役立つことを願っています。
まだまだ続きますのでどうぞ忍耐をもってお付き合い下さい。

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ヒーリングロッジ

 私はスピリチュアリスト教会をやめようとしたが、まだたまに出ていた。私は交霊会の座者の一人に会っていた。彼は大柄で、親し気な感じの血色のよい人で、パーシーと呼ばれていた。彼はいつもにこにこしていて、人柄の良さがにじみ出ていた。彼はいつも私に「霊とは関係ない」別の集まりに行ってみないかと誘った。このグループは、ずっと高度なレベルにおいて、明るい光の中で活動し、ただ霊的に癒すことによって、人類を助けるということだった。
 私はいつも断っていた。ヒーリングには興味がなかったからだった。しかし、私は彼と一緒にいくつかの公の集まりに行ってみた。そこでは霊媒が自分のサイキック能力を大勢の観客に披露していた。パーシーは私に「Births, Deaths and In Memorial Columns」の地方新聞からの切り抜きを、その受容者に霊媒が言ったことが、どのようにしてそのコラムから取られたかを、激しく喜びながら集まりの間中指差して見せた。そうすることでこれらの霊媒の力を反証し、自分がスピリティストではないということを私に信じさせようとした。
 私はスピリチュアリズムについて調査したことによって、霊媒によって作りだされる現象は、霊媒が自分で作り出しているということを、別に説明するもののではないかと考えるようになっていた。
 一つだけ例外があったが、自分だけで2回トランスフィギュレーション(変貌)霊媒による交霊会に出席したときのことだった。
 2回目のときは非常に印象的に感じた。ちょうど3~4フィート離れていたが、男は黒いパンツを履き、ロールネックのジャンバーを着、手に赤く輝く光を持っていた。そのライトがつけられたとき、後ろに離れて座っていた人には、顔と手だけが宙に浮いているように見受けられた。
 最初に中国人の指導霊が通り抜け、霊媒の体を支配した。初めにその顔が長くなり、髪の毛は後退し、黒くなり、弁髪になるまでぴったりと引っ張られた。目は釣り上がり、長くだらりと垂れ下がった顎ひげは、指導霊が霊媒の中に入ったときに長くなっていったようだった。その目は開かれようとしており、ある特定のシートに座っている人に指導霊は亡くなった親戚を紹介しようとしていた。その中国人の顔は消え始め、新しい霊の顔が同じ場所にゆっくりと形を取りだし、姿を現し始め、メッセージを伝えた。これは生きている親戚に非常に興奮をもたらした。
 それぞれの霊がメッセージを伝えてしまった後、続いて新しい霊を紹介する指導霊が取って替わった。霊媒の顔は歳取った人から、若い男、女、誕生してすぐ死んでしまった新生児、そして色んな歳の子供の顔へと変わった。
 これを初めて見たとき、どのようにそれがなされたのか興味を持った。次に、もやがかかった霊媒の顔の前で見る事ができるほど、近くで見ることができた。
 もやの中で、一つの霊が去り別のに変わり、新しい顔が現れ始めました。顎ひげが伸び始め、形が若い人から年取った人へと変わっていった。一つの霊が去り、別のが入れ替わったとき、全てのプロセスが繰り返された。まるで表面の肉体的な顔は頭と離され、もやによって非物質化されてしまったかのようだった。
 これはその時全ての霊の顔を全ての異なった形と大きさへ形どるのに使われていました。その時私は思わなかった関係するトリックがあるということを。また続いて起きた出来事はそれはあり得ないということを示すものであった。なぜならおよそ3年後、私が話しかけていた人物は、明るい人工光りの中で姿が変えられ、他には誰もいなかったからである。

パーシー(彼には度々会っていた)は、今も他の「癒しの集会」と同様、スピリチュアル教会のDeveloping Circleに行っていると認めていた。そして、私の父が死にかけており、その人生が終わろうとしていたとき、スピリチュアルや心霊現象とは何の関係もないことだったが、私は彼のもとへ翻った。

 彼について知っていたにもかかわらず、パーシーがヒーラーはスピリチュアリストではないと断言していた時、彼を信じてしまった。彼は自分達はただ、そのような物質を超えた方法を通して、人類を助けるために神の癒しの力を使っているのだと言った。それで彼が断言したことを受け入れ、父を助けてくれるように願った。

 1960年代初めには、癌による肺の摘出は、まだ初期の段階だった。父は実験的に摘出を受け、命をとりとめた。私達が父がベッドにもたれ掛かっているのを見た時、外科医は首を振った。父は衰弱していき、初めて彼の命がか細くなっていることに気づいた。一体私が不思議に思っていることはなされうるのだろうか。医療技術はベストを就くしたが、役に立たなかった。もちかしたら、パーシーが助けてくれるかもしれない。私は衝動的に彼の家に向かった。

 彼のラウンジへ向かいながら、私が彼を呼んだ理由を説明してしまうと、彼は言った。「その場にいなくてもできる治療(absent healing)で君の父さんを助けることができるが、最初に私に見えている君の苦悩のオーラを取り除いてあげよう。」小さいけれども居心地のいいパーシーの部屋で、彼は私を椅子に座らせ、後ろに立った。

「君には触れずに君のオーラを取っていくよ。」と言った。その瞬間、私は頭の上にかざしている彼の手を感じ取り、頭のてっぺんから全身に流れ落ちる非常な熱を感じた。
 心の目では、父が病院のベッドにチューブやケーブルに囲まれ、もたれかかっているのが見えた。そして自分が媒介者として、癒しの力を父に送るのに使われていることが分かった。それはあたかも、自分が存在の別の状態に入り込んでしまったかのようだった。全てがとても平和で明るかったので、パーシーが私に話しかけるまで、私は自分が動けなかったことに気づいた。私は人生で初めてその癒しの力に引き付けられた。私は触れられず、言葉も話し掛けられなかった。この不思議な力は眠気を誘う効果があった。10分後、その力はゆるみ、話せるようになったので、彼の助けに感謝を伝えた。
 「君の父さんが家に帰ったら、癒しのためにロッジに連れて来てくれたまえ。」パーシーは言った。「そうすることで良い状態を保てるだろう。」
家に着いて病院に電話すると、「お父さんは頬に色が見られます。もしかしたら快方への兆しかもしれません」と知らされた。
「神様ありがとうございます。」私は思った。自分がとても強力な霊の集団「聖白色同胞団」の影響下に引き入られつつあるとは知らずに。
 2~3夜の後で父が話せるようになったとき、私が出て行ったあの最初の夜、とても不思議なことが起こったと教えてくれた。
 父は金色に光る川の中にいて、強い流れにさからっているのに気づいた。そして、この橋の下をくぐってしまえば、死んで痛みも苦しみも止むだろうということに気づいていた。と、突然流れが増してきて、橋から押し戻そうとしてきたので抵抗したが、力はあまりにも強く、だんだんと遠くに橋が行ってしまうまで運ばれていったということだった。
 父は眠りに落ちていた3日間のうちで、初めて手術から回復し始めた。
 これらは全て夜勤の看護婦が当番で来たときに起こった。父は何かもごもご言って、眠りに押し戻されていった。私は病院を去る時、その看護婦に、夜のシフトは何時から始まりますかと聞いていた。「9時です。」と彼女は返事をした。
 その夜に私は癒しの光線を受けるべく、パーシーの椅子に座っていたが、時計をちらりと見たら9時を指していた。父が臨死体験をしているちょうどきっかりに、私の中を癒しの光線が通り抜けて行ったことになる。
 「奇跡だ。」私は思った。
 それから3ヶ月経って、癌は残された肺の中で成長しつつあった。病院ではもうどうすることもできなかった。私は父にどうやって手術のあと癒されたのか、父自身の経験とどう噛み合っていたのかを伝えた後、パーシーのグループで治療を試みるよう同意してもらった。
 地方ロッジは2部屋だけから成っており、一つの聖所は「礼拝」と「癒し」が行われる場所だった。もう一方はラウンジで、メンバーが自分達の経験談をするときに、集まりの前か後にお茶を飲む場所だった。

(つづく)


原文はここから読むことができます。

http://www.bbc.co.uk/dna/h2g2/U549095

Keithさんの証しはビデオでも見れるようです

http://www.tangle.com/search?search_text=spiritualism&type=video