天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

新年戦いの幕開け(2)

(消えかかる大きな虹。もっとはっきりと出ていました)

既に日の出の時間になっていましたが、目の前にでーんと居座った3筋の巨大な横長の雲が、せっかく上った太陽の光を遮っていました。人々の目の前に立ちはだかるこれらの雲が、フェリーと同じ進行方向を向いて飛んでいる3匹の巨大な龍であることを、はっきりと見て取りました。脇の方に眷属も数匹従えているようです。

「皆、目の前の雲が龍だということに全く気づかずにいる。龍も龍で、太陽じゃなく、自分達の姿をどうだ!とばかり見せつけている。このコントラストは何だか笑えるな。」

さすが今年は辰年だけある、と思いつつ、いつもの調子で、

「みんなー、明けましておめでとーう!」

「北海道から来たよー!今年も日本をよろしくねー!」

「ちょっとどけて太陽を見せてくれないかなー?!」

と呑気にも心の中で声かけしました。

長く飛ぶ姿が分かりやすいと思ったので、動画で撮って後で見てみようと思い、尻尾から頭の方に向かって1分間ほど彼らの姿を撮影しました。

普段自然に感動しない姉が、自然の神秘に心動かされている様子を見て、何か神様に対して思う所があったのだろうかと、こちらもぐっと来るものがありました。姉と母は太陽が出るまで甲板に残り、私と妹は朝食のバイキングに行くため船内に戻りました。後で聞いたところによると、太陽が雲から出てきたのは、それから30分ほど経ってからのことだったようです。

その時、すっかり静まっている海を眼下に見ながら、波はここまで穏やかになるものなのだ、父なる神様は随分とすぐには鎮めて下さらなかったものだ、といぶかしく思いました。イエス様はガリラヤ湖が嵐の時に、一喝するだけで鎮められましたが、あんなにフェリーの天井を突き破らんばかりに叫んだはずなのに、自分の祈りの力なんてたかが知れていると思いました。

心待ちにしていた仙台港に着き、ツアーの一行は添乗員さんを初め、誰しもがヨレヨレになってタラップから降り、バスへと乗り込みました。この時皆、「二度と長時間フェリーには乗るまい」と心に誓っていたと思います。

一行はバスで松島に向かい、それから岩手に入り、奥州平泉の金色堂を見学した後、青森に入りました。ホテル泊を経て、岩木山を横目に五所川原を周り、終着の新青森へとバスはひた走りました。

もはや習慣になっていたので、旅の間中、現地に降りたらその都度、

「こんにちはー!北海道から来たよー!」

「この地域をいつも守ってくれてありがとーう!今年もよろしくねー!」

と空の仲間達に向かって、心の中で挨拶して回りました。

最終地点の青森港のフェリー波止場の遊歩道でも、湾の空を大きく眺めながら、

「青森のみんなー!今年はみんなの年だよねー!」

「今年も青森と日本をよろしくー!」

と心の中で大声で挨拶しました。

東北での最後の挨拶を済ませ、帰りのバスに乗り込みました。新青森という新幹線の駅へ向かっていた時のことです。「雨がパラパラ降っているー」と思いつつ、ふと窓の外を見ると、なんと半円状の大きな虹がバスの目の前に出現していました(上の写真)。

「虹だ!虹が出ている!しかも二重に?」

思わず叫び、バスの人達も一斉にそちらの方を向きました。すぐに自分が青森の波止場で空の皆に挨拶したことを思い出しました。

「やはり彼らはとても反応がいいな、石川県で地震が起こったけれど大丈夫、頑張れよと言ってくれているのかな、こちらの挨拶を聞いていてくれて嬉しいな」

と思いました。

「虹を見せてくれてありがとーう!!楽しいねー!」

と心の中で返事して、新幹線の駅の中へと滑り込みました。

長い列車の旅の後、ようやく札幌の家に戻り、さあ、初日の出の時にフェリーで撮った動画を見てみよう、と思って流してみたら、最初ちゃんと映っていたのがいきなり画面が真っ黒になってしまいました。1分弱映したのに、最初と最後だけがほんの数秒、しかも回転する形で映っているだけという奇妙な現象が起きていました。これを見て、

「撮るな」

とあの力の強い龍が、スマホを電波で操作したなと思いました。彼らは苫小牧から仙台までフェリーと並行に飛んで、海の波を荒立て、我々にずっと嫌がらせをしていたに違いないと思いました。

親切で優しい存在のものがいる一方、やはりこのような意地の悪い輩もいるのです。低気圧・高気圧という現象も、やはり彼らの働きによるものだということが今回の旅で分かりました。

実はフェリーに乗っている時に不思議なことがありました。苦痛の一夜が明け、初日の出を見るために皆で甲板に上がろうとしていたその時、母が、

「腰が痛くなくなっている。頭もフラフラしなくなっている」

と言ってきたのです。

母は4年前に直腸癌を手術したのですが、その後遺症なのか、ずっと腰が痛かったのです。最悪なことに、この旅行の一週間前に、自宅の凍った玄関先で滑り、頭を強打し、それ以降フラフラし始め、内出血しているのではないかと、脳外科でCTで検査することまでしていたのです。体が丈夫じゃない母は、高齢の身で、このような過酷な旅にこれらの症状を抱えたまま参加することについて、旅行するの止めようかなと不安がっていたのです。

「一晩中神様に激しく祈っていたからね。」

祝福が滑って、隣で寝ている母の方へ流れて行ったと思いました。神様は頼る人々の願いを無下にされず、必ず応えて下さるお方です。こちらの形で神の業が現れたと思いました。

泣き面に蜂、二度あることは三度あると言いますが、過酷な長旅から帰ってきて、自宅のエアコンを付けて一息つこうとしたその瞬間、バン!といっていきなりブレーカーが落ち、家の全ての電気が消えました。すると、向こうから母の

「前と同じ所をぶった‥‥」

という弱々しい声が聞こえてきました。

母は一瞬地震が起きたのかと思い、咄嗟に窓から外の様子を見ようとして、暗闇の中、よろけてソファの手摺りに右頬から落ちて強打したのです。見ると痛ましい大きさのたんこぶが、右頬から突き出ていました。このような大きなたんこぶは今まで見たことがありません。なぜ神は弱く貧しい我らをこのように苦しめられるのか。。。

たんこぶの部分に手を当てて癒しを神に祈り、姉と妹にも祈ってくれるよう連絡をしました。救急車を呼んだ方がいいのか迷いましたが、長旅で疲労していたこともあり、消炎剤を飲み、湿布などを貼って、アイスノンで患部を冷やして朝まで様子を見ることにしました。

それにしても、そんなに電圧を使っていなかったはずなのに、何故あの時ブレーカーがいきなり落ちたのか、腑に落ちないものがありました。

次の朝、母の顔を見ると家庭内暴力で拳で右目を殴られた人のように、内出血していました。母はネフェルティティに似ているのですが、そのような気高い美しさも消し飛ぶ、お岩さんのような哀れな姿に変貌していました。しかし、あの痛ましいこぶはすっかり引っ込んでいました。母は笑いながら、

「起こったことは災難に次ぐ災難だったけど、もう怪我したことはどうでもよくて、何だか心は穏やかなの。笑っちゃうよね」

とニコニコしていました。それを見て、

「ああ、お母さん、それは聖霊に満たされた人が言うセリフだよ」

酷い試練をも乗り越えさせてくれる神の力と憐み。自然の優しさと厳しさ。それを目の当たりにした年末年始の顛末でした。

(おわり)