天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

龍のこと(7)

さて、龍の話も佳境に入ってまいりました。時系列がぐちゃぐちゃで書いていますが、整理して書くよりも勢いで書く方が大事だと思うので、このまま突っ走ります。霊感の薄い自分のような者でさえも、このような存在にばったり会ったり見たりするということは、彼らが焦っているか、活動が活発化しているのだと思います。自分の捉えでは、今スピリチュアル界に龍ブームが起こっているのかなと思っているのですが、龍の善人っぷりがすごくアピールされているようで、これは危険だぞと思っています。

イエス・キリストのお名前で祈った直後、京都で2回虹雲を見ましたが、「観音様が現れるような、いかにもアジアっぽい雰囲気」と思ったのは正解だったと思います。京都の私の暮らしていた場所は龍安寺(りょうあんじ)という所だったのですが、まさしく龍達が住まう場所で、私の祈りが彼らを刺激し、まるで神が祈りに答えたかのようなアピールをしていたのだと分かります。一度は具合が悪いための絶叫の祈りで、二度目は静かな祈りでした。2回とも神様から「ちゃんと見てるよ」「頑張れよ」というメッセージだと思ってしまいましたが、奴らの仕業だったのです。それにしても、悲しいことに、本当の神様(創造主なる神)は助けに来て下さらなかった。

札幌に戻ってきて、山に登った時に龍の意識と波長が合ってしまってから、龍にウロウロされるようになってしまったと思っていたのですが、京都にいる時からこのような現象が起こっていたんだと、振り返ってみて思います。

私のもう一つの体験ですが、こちらに戻って来てからなかなか職が見つからなくて、絶対絶命の気分になって、神様に紙2枚と半分の作文を書いて、大声で読み上げた後に起こった出来事です。

彼らは不思議な形の雲となって現れました。雲の周辺を虹色にピカピカさせたり、雲を見ている前でふーっと消したりして、こちらの注意を引き付けるようにしていました。それらの雲に沿って歩いていると、立ち止まった所で上空で何かアピールしているように見えたので、「雲を魚の形にできますか?」と心の中で伝えたら、驚くことに、本当に鮭のような形にしてくれました。

このブログにもその写真を一瞬上げたのですが、気味悪くて消してしまったやつです。それはUFOみたいな形の雲(龍の擬態だと思われる)が、すぐ側で電磁波的な力でコントロールしているように見えました。この時私はすっかりイエス様が私の絶叫に応えて、天使を遣わして下さったのだと勘違いして、感激の涙を流したのでした。

その数日後、大学の農場で龍が降りてきた時に、初めて「ああ、この現象は龍が起こしていたのだ」と分かったのですが、その時も礼儀正しい存在だとポジティブに捉え、すっかり友達気分になってしまっていたのでした。そして恐ろしいことに、「また会いたいなあ」と思ったりするようになっていたのでした。

日曜日の家庭礼拝で、有名なクリスチャンソングの「叫べ天地よ」を歌った後、空を見ると、再び彼らが不思議な形の雲となって現れているのが見えました。その一つは鳳凰の形を取っていました。また別の家庭礼拝の日曜日、やはり「叫べ天地よ」を歌ったその午後、窓の外の上空を見ると、長細いうっすらとした白い龍の姿が一体浮いているのが見えました。「自分が呼ばれたと思って勘違いしている・・・」龍がこの歌を気に入っているのが分かりました。この歌は自然の中に現れている神様の栄光を歌ったものなのです。

そしてダメ押しで、やはり家庭礼拝で「叫べ天地よ」を歌ったのですが、今度はできるだけ勘違いされないよう、意識を龍の方に飛ばさないよう、恐る恐る歌いました。そして午後になってからも窓の外は見ないようにしていました。それから夕飯の買い出しに行った時、夕暮れになった空には、キャタピラー雲がダーッと遠く山の方まで続いており、何か尋常でない様子がありありと現れていました。「また出たな・・・」自分が自然を操れることを誇示したいのに、私が反応を示さなかったので、腹いせのように雲をダーッと撒き散らして行った感がありました。

またあくる日、確か屋外で祈りの言葉を作文していたんじゃないだろうか。その後買い物に行って、その帰りの道で、龍のあのうっすらとした白い長細い姿が、私の家の方角を見ながら浮いているのが見えました。「家の方を見ている。自分の真剣な祈りや讃美が、かえって龍を引き寄せているのだ。」

これらのことから、彼らは祈りや讃美を盗みに来ることが分かりました。それからだんだん怖くなって、真剣に祈ることに気が引けるようになってしまいました。

それにしてもこんな龍の姿がはっきりと普通の人の目で見えるようになっているのは、よく次元上昇、次元上昇とスピリチュアル界で言われてきたが、むしろ次元下降しているのではないのか。確かに霊的な世界の仕組みに何かが起こっていると、この龍の一件からも感じさせられます。

(つづく)