天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

龍のこと(5)

上ノ国の道の駅が岸壁の際に立っていて、その中に入ると「カミゴン」というご当地キャラが、あちこちいるのに気づきました。それは可愛い赤い鹿のような姿をしていました。「もしや・・・」と嫌な予感がしたのですが、カミゴンの説明を読むと、案の定龍のキャラクターでした。

「これは湾の上に浮かんでいるやつが、自分のことをアピールするために、人間の意識に働きかけてやったな。」と、再び暗澹とした気持ちになりました。彼らはいたずらが好きなのです。それにしても赤い龍とは・・・。聖書に出てくる赤い龍はサタンの象徴なのです。

湾の近くに、夷王山(いおうざん)という小山があったので、母を車の中に残し、妹と二人でそこに登ってみました。頂上には鳥居と小さな小屋がありました。「もしかしたら、ここが母が近所の人から聞いた、神聖な空気を感じた場所かもしれない。」と思いましたが、特に何も感じませんでした。その小山の周辺には墳墓跡がたくさんあって、この山が古墳であることを伺わせました。

神武天皇が北海道に住んでいたことがあり、アイヌと混血しているという話を、YouTubeの映像で聞いたことがあるのですが、「夷王」というのは神武天皇のことだったりして、と想像してみました。

ところで、一昨日、仕事があまりにも暇で、会社で上ノ国のことについてネットサーフィンしていたのですが、例の湾の所に「龍燈」が出現するという話が出てきました。それがシャンシャンと、お神輿みたいな音を立てて移動している間、厳かな雰囲気があたりに感じられ、村の人が顔を上げて見れない程であったという話です。https://ryujin.metasato.com/ryujin/025_kaminokuni_ryuto/ryujinDetail.html 近所の人が話してくれた神聖な気配の主は、きっとこれだと思いました。人間と龍のあいの子である神武天皇が、亡くなった時この地に戻ってきて、ここを守る役目を神様から仰せつかったのかもしれない、と勝手に想像をふくらませてみました。

いったい、彼らが紛れもなく聖い存在だから、神聖な気配を放っているのか、それとも人間に拝ませるために、そういう気配をあえて振り撒いているのか、単にマイナスイオンを身に纏っているからそのように感じるのか。

キリスト教でいえば、彼らは堕ちた天使の成れの果てという扱いですが、それとは別個の、宇宙や地球の創造に関わった龍もいるという話もあります。何せ目に見えない世界のことなので、はっきりとしたことは分からなく、人間とは住んでいる次元も違うし、パワーの違いもあるので、互いに深入りしないに越したことはないと思いますが。

・・・と書くものの、先週こんなことがありました。日曜日に、霞がかった雲が不思議な美しさだな、雪が降るのが近いのかな、と思って写真を撮っていたのですが、「もしかしてこの雲の背後に・・・」とふっと頭をかすめました。思えば例の山の方に向かってカメラを向けていました。次の日の朝、会社に行くために自転車で家を出ると、目の前の上空に、例の虹のボールがふーっと浮かんでいるのが見えました。

「まずい!また現れた!やつに勘違いさせてしまった」

彼らにとり憑かれないようにしないと、隙を見せてはいけないと、再び肝に命じ、魂に力を込めました。彼らは一度目をつけたものに対してはかなり執念深いようです。もう空や雲の写真は撮らない方がいいのだろうか・・・

(つづく)