天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

新年戦いの幕開け(1)

(フェリー内から見た初日の出)

新しい年が明けました。能登半島と羽田の飛行機が敵の攻撃に遭ってしまいましたね。このことは日本全体を震撼させたのではないでしょうか。亡くなられた方々の魂に哀悼の意を表すると共に、現在被災されている方々には速やかに助けと慰めがあるようにと願います。

このブログを定期的に訪問して下さっている皆様、いつもありがとうございます。自分の場合の神様への取り組みがどうなっているのか紹介しているつもりなのですが、引退した老人のように力も精神も弱くなってしまった今、これが参考になっているのか害になっているのかよく分かりませんが、今年も皆さんへの何かの励ましになれば幸いです。

我々は今まさに、沈みかかる日本丸という泥船に乗っている訳ですが、エリエナイさんの預言にもあり、新年早々の大事件でも示されているように、これから12年間は獣に踏みにじられる年が続くhttp://oo3.o.oo7.jp/index.htmlということなので、その構えで皆さんと共に過ごしていきたいものです。

さて、2024年1月1日の深夜、狭い船室のベッドの上で苦しみのたうち回りながら、最悪な新年を迎えました。

一体何が起きていたのかというと、大晦日から正月にかけて、フェリーの上で初日の出を拝むという東北一周ツアーに家族で参加し、北海道から仙台行きのフェリーの中で激しい船酔いに遭ったのです。

ツアー前に、駅まで姉の旦那さんが送ってくれたのですが、その時一言「低気圧が近づいているらしいよ」。一瞬「ん?」と引っかかりましたが、数日前までの天気予報は日本海側は雪でしたが、太平洋側は晴れると報じられていたので、それ以上深く考えませんでした。後でこの言葉の意味を嫌というほど思い知ることになったのですが。しかし、フェリーに乗る前に「皆で神様に旅の祝福を祈らねば」と2度ほど頭をかすめてはいました。

ツアーの一行はバスから降りて、苫小牧(とまこまい)から仙台港行きのフェリーに乗り、すぐに夕食を取りました。以前和歌山から徳島行きのフェリーに泊まりがけで乗ったことがあったのですが、その時は揺れはほとんど気にならなく、今回ホテルのような大きさのフェリーだったこともあり、船酔いに関しては全く心配していませんでした。

楽しく美味しい食事を済ませ、個室にそれぞれ入った時、何だか揺れが強くなっている気がしました。

「横になっていたらいずれ楽になるだろう」「じきに波も凪ぐだろう」

しかしその予想とは裏腹に、さすが安いB船室だけあって、エンジンの細かい振動が体にもろに感じられ、休まるものも休まらす、高まる揺れと共に、気分の悪さを一層増幅させるのでした。

自分のなんちゃって信仰は、神の言葉を守るという気高いものではなく、文字通り困った時の神頼みです。最近は破天荒な人生模様も落ち着き、平穏な生活のありがたさをしみじみと感じながら過ごしているので、真剣な神への祈りというものも絶えて久しかったのでした。

こんなに激しく何時間も神に訴えかけたのは何十年ぶりでしょう。このように神に祈る力が自分にまだ残されていたことに驚きました。船室の底で絶えず押し寄せる激しい不快感に、魚に飲まれたヨナになったような気分になりました。きっと黄泉に落とされた人間もこのように叫ぶのでしょう。

「神様、龍達に命じて荒ぶる波を鎮めて下さい!!」

しかし「祈れば祈るほど、むしろ波がきつくなってやしないか?」と思いました。三角波、横に大きく揺れる波、上にぐーっと持ち上げられて頂点で止まる現象など、様々な波の揺れを体感しました。波が激しくなればなるほど、一層神への訴えも激しさを増していきました。

家族一人一人の名前を上げ、聖霊で満たし、肉体の苦しみを凌駕できるようにと祈り、しまいに「日本‥‥」「神の子」「賛美」「感謝」「あなたの栄光」などの大きな言葉が飛び出しました。口先三寸で言っているのではなく、神の御座に届かせようと、必死の人間が叫ぶ言葉でした。実際、自分の叫びはフェリーの屋根を突き破り、雲の層を突き抜け、第三の天の父なる神の御元まで届いていたと思います。

「人は苦しみに遭わすば人のためには祈れない」

を実感しました。

このように獣のように心の中で叫び、もんどり打ちながら明け方までほとんど眠ることができず、たまに「神様‥ムニャムニャ」と目覚めて時間を確認してみると、まだ深夜のままでした。苦しんでいる時は時間の流れが異様に遅いということが分かりました。

朝の5時過ぎになって、ようやく波が静まってきたのを感じました。周りで寝ていた家族も起き出してきました。それぞれが最悪の経験をしており、母もずっと祈っていたと言っていました。母と姉は酔い止めを何錠も飲んでいました。この時妹は既に10回も吐いていたそうです。

それでも「初日の出を拝まねば」と、この旅の一番の目的を果たそうと、皆で甲板に上がりました。船室で寝ていた人々が既に沢山集まっており、東の空を見つめていました。日の出時刻は6時51分。目の前には長細く厚い雲がしっかりと横たわり、太陽を遮っていました。

(つづく)