天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

マタイ24章の全体はAD70年のエルサレム陥落のこと(1)

(「ティトス率いるローマ軍によるエルサレムの包囲と破壊 」デイヴィッド・ロバーツ)

これは前にご紹介した、ポール・T・ペンリーさんの「レフトビハインドされるのは良いこと」の、記事の内容の要約のようなものです。

この方が言っておられることがとても腑に落ち、これが最終回答ではないだろうかと思ったので、改めてメモしておきます。そもそも、原始から近代までのキリスト教会は、伝統的にこのように教えていたのではないでしょうか?

現代に生きる自分がこの章を読むと、

「近い将来起こるエルサレムへの裁き」+「黙示録的な世の終わりの様子」

の2つの出来事をドッキングして言っているような印象を受け、「何だこの章は?」と思わざるを得ませんでした。ですが「将来起こるエルサレムへの裁き」が、AD70年に既に完了しているということであれば、この章でイエス様が言っておられる言葉の意味全体が、そのことに集約されるのではないかと思ったのです。

ポール・T・ペンリーさんが、この章で使っている「人の子が来る」という表現は、「イエスが物質的肉体をもって現れることを言ったのではない」と言っておられたのが良いヒントになりました。

「人の子が来る」=「霊の状態で現れる」

ということです。なので、イエス様は弟子達に、「ほら、主はそこにおられる」「あそこにおられる」と言ってはならない、探してもならない、何故なら、「あなた達の目に見える形で来るのではないのだから」と言いたかったのではないでしょうか。また、ポール・T・ペンリーさんは、主の『来臨』という言葉は、敵に対する決定的な勝利を意味する、古代近東語の略語にすぎませんとも言っておられます。

我々はあまりにも黙示録の大艱難のスペクタクルなイメージを植付けられており、「終末」「世の終わり」と聞くと、自動的に頭の中に、「天体が揺れ動き、地震や火山の噴火が頻発する、地球最後の日」みたいなイメージが浮かぶ訳です。家に新共同訳聖書があり、それに小見出しがついているのですが、マタイ24章の小見出しの一つに、「終末の徴」とあります。こういうのも一つの癌になっているのではないかと思いました。このように書かれると、「あー、黙示録のあれね」と、すぐにマインドセットされてしまうのではないでしょうか。

しつこいですが、預言者のエリエナイさんが説明しておられるように、「世の終わり」というのは、「悪魔とその仲間が支配する世界の終わり、彼らに対する神の裁き」終わりの日の秘儀 (oo7.jp) という意味で、イエス様が言う世の終わりは、これまでに何度も訪れています。海南島のヨハネさんも、神様から受けた言葉で、「地球を人間の勝手にさせない、地球は私のものである」と、神様が創られた地球を、大切に扱っておられる様子が分かります。人類の危機に際して預言せよ | 海南島のヨハネの黙示録 (ameblo.jp なので、世の終わりは地球が大破する日ではないということです。

現在聖書の読み方は、天にいるイエス様や天の父なる神様がびっくりする位、かけ離れてしまっているのだと思います。

ちなみに、全く自慢できることではありませんが、以前自分もこの章の「死体のある所にはハゲタカが集まるものである」というイエス様の言葉を取り上げ、不謹慎なことに、半ばワクワクしながら、これは将来エイリアンによるUFOアブダクションが起こり、騙された人々がそこでスプラッターされることを言われたのでは?と、アホなストーリーを描いてみたことがありました。

このマタイ24章を、全て終わってしまったことを言っているという前提で、書かれているイベントをざっくりと以下のように2段階に分けてみました。

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「わたしの名を名乗るものが大ぜい現れ」

「戦争や戦争のうわさ」

「民族は民族に敵対」

「飢饉と地震」

「あなたがたは全ての人に憎まれ」

「偽預言者が多く起こり」

「御国の福音は全世界に宣べ伝えられ」

「『荒らす憎むべき』者が、聖なる所に立つ」

「死体のある所にはハゲタカが集まる」

「太陽は暗くなり、月は光を放たず・・・云々」

「人の子のしるしが天に現れ」

「大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わし」

「御使いたちは、天の果てから果てまで、四方から選びの民を集め」

・・・etc.

ここまで全部AD33年~AD70年のこと

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ここからローマ軍によるユダヤ人大虐殺・エルサレム陥落、マサダ玉砕のこと(~AD73)

「そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい」

「屋上にいる者は家の中の物を持ちだそうと下に降りてはいけません」

「そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような・・・ひどい苦難がある」

「これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代(一世代=約30~40年)は過ぎ去りません。」

「一人は取られ、一人は残され・・・云々」

「しもべの主人は思いがけない時に帰ってくる」

「しもべを厳しく罰して、その報いを偽善者と同じにする」

「しもべはそこで泣いて歯軋りする」

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ちょっと、これまでの思い込みを脇においておいて、24章の全てが、AD33年にイエス様が十字架に付けられて天に帰られてからAD70年(マサダの玉砕はAD73年)までに起こってしまったことを表しているという前提で、この章をもう一度読み直してみては如何でしょうか。前提条件が変わると、マタイ24章の認識がガラリと変わると思います。

イエス様は、このイベントの裁き主として、雲に乗ってエルサレム神殿の上空に、ラッパの音と共に(ラッパが鳴るのは黙示録だけじゃない?)、天使達を従え、お出ましになったのではないでしょうか。

エルサレムが陥落したこの戦いでは110万人ものユダヤ人が殺されたそうです。神殿や市街は血の海となり、人の死体が折り重なりハゲタカが集まってそれらをついばんだことでしょう。

次にこのことを裏付ける、AD70年に至るまでにエルサレム周辺で起きた歴史的イベントをご紹介します。

(つづく)