天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「世の終わり」とは?

クリスチャンはよく「世の終わり」とか「終末」とか言いますが、この用語の扱いについて大きな間違いを犯しているのではないかと思ってきました。教師達がこの言葉の定義を間違えると、人々を間違った方向に走らせてしまいます。

黙示録では、太陽が輝きを止め、天体が空から落ちてくるなどのような、壮大なスペクタクルが書かれているので、普通に読んでいると地球が消滅するようなイメージが浮かんで来てしまうのです。黙示録は原始キリスト教徒の迫害時代に書かれたもので、時の権力者から身を守るため、象徴を多用して暗号文のように書かれていることはよく知られている所です。

エリエナイさんのHPに、「世の終わり」についていいことが書かれていました。

「『世』とはいったい何か。『世』とはサタンが支配する人間たちが形成してきた『世間』や『社会』や『文明』のことである。」終わりの日の秘儀 (oo7.jp)

サタンや彼の手下、それに追従する者達による方法で運営されてきた世界が、行き着く所まで来たら、神様が頃合いを見て一区切りつけるというのが、本当の「世の終わり」とのことです。そういう意味で言うなら、今のこの時代、我々は世の終わりの只中にいるのだと思います。

科学者によると、地球はこれまでに何度も生物の大量絶滅を経験してきているとのことです。

①4億4300万年前 海洋生物の86%が絶滅

②3億6000万年前 生物の75%が絶滅

③2億5000万年前 生物の96%が絶滅

④2億100万年前 生物の80%が絶滅

⑤6500万年前 76%の生物が絶滅

⑥1万年前 巨大動物の絶滅

これだけ見ても、地球の生物は6回の大きな危機を経験してきたことが分かります。神様が地球や生物をよりよいものにするため、いかに試行錯誤されてきたかが分かります。

ホモ・サピエンスの誕生は12万年前と言われていますが、この間さらに細かく色々なことがあったのではないでしょうか。堕天使と人間が交わってネフィリムが生まれ、地球に蔓延って悪さをしたり、ノアの箱舟に代表されるような大洪水が各地で起こったり、ムー大陸やアトランティス大陸が海の底に沈んだり。小さな所では、バベルや、ソドムとゴモラ、ポンペイのような悪徳の町が天からの火で滅ぼされたり、局所的に壊滅的な出来事が、色々とあったのではないでしょうか。その都度神様は、天変地異や疫病などを利用して、悪しき存在やそれと混血した人間を精算して来られた訳です。

これらのことからも、地球は神様の心魂込めた作品であり、簡単に吹っ飛ばすなどというようなことはせず、その都度仕切り直しの道を選ばれていることが分かります。よって一部の人が考えているように、「世の終わり」に地球が滅亡し、全く新しい天体に人間が引っ越すことになるというわけではなさそうです。

神様の仕切り直しは、悪い人たちが黙示録を利用して仕組んでいる「いかにも終末」なストーリーとは異なるのではないでしょうか。一方、悪魔側がしたいことは、終末の恐怖をあおり、人々をパニックに陥れることだと思います。悪魔は、神は助けて下さらない、神は無力な存在だ、お前達はもうだめだ、という感覚を擦り込み、絶望させ、自分たちの思う方向に地球人をコントロールしたいのではないでしょうか。

私たちは変に大騒ぎするのでなく、きちんと神様の方を向いて生活することが求められているのだと思います。神様は我々のことを上からちゃんと見ておられ、いたずらに人間を苦しめたりはせず、試練の時には守って下さるとあります。また我々が苦しむのは、人間の思いや意識を変えるためでもあります。人間からしたらできるだけ苦しみは避けたい所ですが、人間の魂が空しいものに成り下がり神から離れてしまわないよう、適宜ショックを与え目覚めさせ、ご自分の元に戻ってくるように図っておられるのです。

エリエナイさんの6月7日の預言にもあるように、神様はこれから「邪悪な者どもをより分け、彼らの上で車輪を引き回す」と仰って下さっています。我々はどうしても悪魔の働きに注目しがち(?)ですが、新しいことを始めようとしておられる神様に、信頼して期待してもよいのではないでしょうか。

例えば、悪魔主義者達の犯罪の告発を行っておられるカナダのケヴィン・アネットさん達のグループは、何年も前からグローバリスト達の影響の及ばない、新しい国づくりを行っておられます。この世界の有り様は、もうそのようなことを始めなければならない所まで来ているのです。神様は我々に、「地を従えよ」「地の塩たれ」と言われました。どこか別次元に逃避せよとは言っておらず、この地球上でそれを行えと言っておられるのです。

今の「世の終わり」に神様は、新しい心を持つ人々を起こして下さり、それらの人々によって新しい世界を作ろうとしておられるのだと思います。世の終わりには、悪徳が頂点を極めるのと同時に、悪い者達の裁きも始まり、それと並行して、新しい心を持つ人々による神の新しい業が始まる時となるのではないでしょうか。