天国への一歩

神・霊・魂、霊の見分けの話題。キリスト教信仰が出発点です。

「使徒と自称してはいるが、その実使徒でない者」=パウロ?(2)

では、なぜヤコブは礼拝ではなく、司法の場について述べているのでしょうか。なぜ、礼拝に来たクリスチャンが、立ったり座ったりする場所を指示される必要があるのでしょうか。なぜ、ある人は立ち、ある人は座るのでしょうか。もし、司法の場であれば、立ったり座ったりする手順は参加者にとって不慣れなものであり、服装も裁判官にとって、不公平な印象を与える要因になるかもしれません。さらに言えば、パウロが説いた教義をヤコブが一つ一つ分解しているのは、他の誰かがこの場で裁判を受けていたからでしょうか。

もし、そのような裁判が起こったとしたら、エペソの教会はエルサレム教会に助けを求めて、裁判で提出する神学的論証を準備した可能性が高いのです。

使徒言行録によると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人は、エルサレム教会で指導的な役割を担っていたことがわかります。3人のうち、イエスの兄弟といわれるヤコブは、エルサレムの司教に指名され、最も高い地位にありました。彼は、キリストの教会の最初の元首でした。パウロはガラテヤ2:9でこのことを間接的に言及しています。「ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たち」。ヤコブ、ケファ、ヨハネ、彼らは柱と呼ばれる人たちだったのです。

使徒言行録では、ヤコブが使徒たちよりも、教義上の問題で最終的な決定権を持つ立場にありました。使徒言行録15章6節では、「使徒と長老とが集まって、異邦人が割礼を受ける必要があるかどうかを検討していた」とあります。パウロとペテロが話した後、ヤコブが立ち上がり、「私が裁く」と言いました(使徒15:19)。そして、ヤコブは何をすべきかを具体的に説明します。手紙を書き、いくつかの具体的な条件を要求するのです。ヤコブはクリノ(裁く)という表現を一人称で使っています。これはまさに当時の司法官が使っていた形です。"私は私の判断を下す "という意味です。

ヤコブの手紙は、この役割と自分を同一視しており、教義上の問題で、使徒以上に判断者として行動した人物が書いたものです。この書物は「手紙」と呼ばれていますが、本文には誰宛に書かれたのか、またなぜ書かれたのか、その理由は記されていません。その内容から読み取れるのは、救いのプロセスにおける信仰と、行いをめぐる教義について論じていることです。その教義は特定の人のものであるだけでなく、ヤコブが不満を感じている人のものなのです。

ヤコブ2:20 「ああ、愚かな人よ。行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。」 使徒言行録はパウロとヤコブの衝突を何度も記録していますが、パウロの福音は行いを伴わない信仰でした。使徒言行録の記録では、パウロほどエルサレム教会の指導者たちと、教義上の点で衝突した人物はいません。また、使徒言行録の中で、パウロはイエスの十字架上の贖いの業を信じる、信仰のみによる救いの福音を説いた唯一の人物です。

ヤコブ1章は、教会全体(兄弟たち)に向けて、知恵を必要とするさまざまな誘惑を経験する者がいるという文脈で、冒頭演説のような形で語られています。そして、1:12で、「律法が罪を生かす」という教えに対して、「欲望が宿ると罪を生み、罪が終わると死を生む」という答えを突きつけているのです。パウロはローマ7:9で、まさにこのことを教えています。

ヤコブは次に、兄弟たちに、 「だまされてはいけません」と挑戦しています。律法とは、1:17で述べられている良い贈り物のことでしょう。兄弟たちは、あたかも争いが続いているかのように、すぐに口にしたり、怒ったりするような誘惑にかられていたのです。その言葉は、まるでヤコブがパウロの奔放に語る言葉の影響を、皆に受けてほしくなかったかのようです。彼はこの章の最後に憐れみを示し、「世から・・・汚されないようにする 」という、律法の正しい条件を述べています。

1世紀の法制度に詳しい人は、ヤコブ2章の最初の部分は、当時の裁判で提示されたであろう「被告に対する裁判」の形式を取っていると考えています。

裁判官(2:4)、裁きの席(2:6)、律法(2:8、9、10、12)、違反者(2:9、11)、有罪(2:10)、裁き(2:12)、判決(2:13)など、裁判の言葉が使われているのです。

そしてヤコブは2:14で、「信仰に基づく福音」の基本的な欠点に立ち向かっています。

ヤコブが他の人ではなく、パウロの教えに反論していると、どうしてわかるのでしょうか。ヤコブはパウロの説教を引用していますが、その説教は、すべて新約聖書にあるパウロの書簡の中で、パウロが書いた文脈で読むことができるからです。

ヤコブがパウロの教義に言及しているかどうかの疑いをなくすために、ヤコブは、パウロが書簡の中で使ったのと全く同じ旧約聖書の聖句を使って、自分の主張を支持します。しかし、それらの聖句はパウロが教えたことを支持していません。むしろ反対に、パウロが説いたことと全く反対のことを支持していることを示していきます。

例えば、ヤコブはパウロがアブラハムの「信仰に基づく義」の例(ローマ4:3、ガラ3:6)を使うことに反対し、信仰だけでなく、「信仰と業」を思いつきます。そして、義のために行いが必要であることを、さらにいくつかの例で説明します。ヤコブの議論を読んでいると、ヤコブがパウロの説いた教理を解体していることが、まざまざと感じられます。特に信仰と行いの議論ではそうです。

ヤコブは創世記15章6節を、パウロがローマ4章で説明したのと全く異なる方法で説明しています。ヤコブはパウロの説明と全く相反する方法でアブラハムの物語を語り、読者を「信仰(だけ)ではなく」、「行いによる義認」という正反対の教理に導きます。この議論については、この研究の後半でより詳細に検討します。

パウロの教えを一段落させるのは、第2章だけではありません。ヤコブの手紙のほとんどすべての章と節で、このようなことが行われているのです。まるでヤコブがパウロの手紙を机の上に広げ、欠点を見つけ、その欠点に対応するメッセージを書いているようです。これこそ初代教会の指導者が、係争中の神学裁判の裁判長に期待されていた助けの働きでした。ヤコブの手紙は審判のための完璧な教義的参考書であったことでしょう。

ヤコブの手紙は、キリスト教徒が支配するシナゴーグで、パウロの裁判のために書かれたものであることは、すべてのピースで符号しています。その裁判は、黙示録2:2にあるエペソで語られている裁判であることとも一致します。使徒言行録19章にルカが書いた、エペソで芽生えた「シナゴーグ」教会が、パウロを異端者として追放した話にも合致します。

エペソはアジア/トルコ西部の首都で、当時、最も声高に説教していた一人のパウロに対して、彼の教える教義をめぐり、神学裁判を行う論理的な場所だったのでしょう。パウロが「最初の弁明」をした時、誰も共に立って彼を支持せず、結局「アジアのすべての人が彼を見捨てた」と訴えた場所でもあります。(2テモテ1:15;4:14-17)。

パウロがエペソの教会で異端として裁判にかけられ、ヤコブの手紙はその弁護のために書かれたのではないかと考える人たちは、このような考えを真っ向から否定しています。では、なぜヤコブは礼拝ではなく、司法の場について述べているのでしょうか。なぜ、礼拝に来たクリスチャンが、どこに立って、どこに座るかを指示される必要があるのでしょうか。なぜ、ある人は立って、ある人は座っているのでしょうか。

もしそれが司法の場であれば、立ったり座ったりする手順は参加者にとって不慣れなものであり、服装は裁判官にとって不当に印象づける要素になるかもしれません。さらに言えば、もし他の人が裁判にかけられたとしたら、なぜパウロが説いた教義をヤコブが一つ一つ分解していくのでしょうか。

ヤコブ2:2-4で、ヤコブはギリシャ語の「シナゴーグ」という言葉を、この集会に使っています。エクレシアという言葉は通常、教会という意味で使われ、シナゴーグで行われる集会とは区別されていました。また不思議なことに、新約聖書の他の箇所では、シナゴーグという言葉は、教会の集会には使われず、教義を議論する場として使われています。ヤコブの文脈では、このシナゴーグに関して、「この集会に対するクリスチャンの所有権と権威 」があるということが明らかになっています。したがって、この二つの事実を合わせると、ヤコブは、「これからクリスチャンが管理するシナゴーグに集まって裁判を行う」という文脈でこの手紙を書いたと推論できます。

ヤコブが初期のエルサレム教会から与えられた権威を疑問視し、イエスがこの役割をペテロに与えたと主張する人もいます。

しかし、エウセビオス(260頃-341)は、紀元325年頃次のように書いています。

「主の兄弟であるヤコブは、使徒たちによってエルサレムの司教座を委ねられました。」

使徒たちの直後にパレスチナに住んでいたヘゲシッポス(120年頃?)は、『回想録』という5冊の本に分かれた著作を書きました。第五巻の中で、彼はこう述べています。

「主の兄弟ヤコブは、使徒たちとともに教会の統治を引き継いだ。」

聖書全体をラテン語のウルガタに翻訳した有名なジェローム(西暦405年)は、『有名な人物について』の第二章を、ただ一人ヤコブの伝記に割いています。

同様に、300年代後半の司教エピファニオスは、『パナリオン』29.3.4でヤコブについて書いています。彼は、

「ヤコブはすぐに最初の司教に叙階され、主の兄弟と呼ばれた・・・」

と言っています。

「彼がヨセフの子であることから、ダビデの家系であることがわかる・・・」

と述べています。

同じ趣旨のことを、アレクサンドリアのクレメンスも言っています。使徒たちが自分たちの中から選ばなかったのは、

「救い主が(すでに)特別に彼らを誉めておられたからであり、(代わりに)ただ一人ヤコブを、エルサレムの司教に選んだのである」。

したがって、ヤコブがキリスト教会の本来の主教であることに疑問の余地はありません。彼は十二使徒たちによって任命されたのです。使徒言行録15章は、古代のすべての歴史的資料と同様に、このことを証しています。ですから、通説に反して、ペテロはキリスト教会が始まった当初、司教ではありませんでした。むしろ、使徒言行録15章に描かれているように、初期にはペテロが発言し、その後、皆がヤコブの判断を待っていたのです。

(つづく)

The Trial of Paul by the Church at Ephesus (pocketoz.com.au) より

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(管理人)

使徒行伝以降を読むときに、母親がよく「これはパウロの言っていることで、イエス様の言葉じゃない!」と言うのを聞いていました。また、「私はパウロの信仰に立っています」と牧師達が言うことに対して、「なぜイエス様のみに従うと言わないのか」「違和感を感じる」と何度も訴えていたので、「随分とそのことを言うな。うるさいなぁ」と思っていたのを思い出します。直感的にイエスの教えとパウロの教えが異なることを感じ取っていたのでしょう。

パウロが初代教会を建て上げた偉大な使徒であるとの前提条件に立つのと、イエスが黙示録2:2で言われた偽使徒であるとの前提条件に立つのとでは、天と地のような違いが生じます。近年、再建主義という旧約聖書の律法を重んじる動きがあることを知っていますが、多くのパウロの教えに立つクリスチャンは、これを何を言っておるのかとあざ笑う訳です。

というか、本来自分も何でも大ざっぱに考える人間であり、「日本人は律法主義者みたいな人が多くて嫌だな」とよく思っていたので、傾向としてパウロの側を支持していた訳です。パウロを偽者だとギャンギャン言う資格はありません。

これまでの人生で見てきた限り、律法をよく守ろうと頑張っている人は、むしろ魂に輝きが生まれることも見てきました。これはどうしてだ、律法を守ると祝福されるのか、イエス様は「この地球が無くなろうとも律法の一点一画が廃れることはない」と言われているしなぁと思っていました。やはりこの輝きは神から来る祝福と誉れであるのかと思います。